(※写真はイメージです/PIXTA)

新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けてもなお、「活動を止めない」と強い決意のもと、あらゆる手段や可能性を模索し、中小企業家同友会は4万5000人の会員数を堅持したという。この類をみない経営者団体はどのような団体なのか、なぜ会員が増え続けるのかを徹底レポートする。

注目すべき中小企業家同友会の設立趣意書

しかし、中政連は56年に「中小企業団体法案要綱試案」を作成し、「その後強力な運動によって、同年12月の段階で加入者1000万人を超える『中小企業団体法期成同盟』を結成」するに至るのだった。

 

中政連にあらずんば人にあらずという風潮のなかで、中同協の母体とされる全中協に属する人たちの一部から反対の声が上がる。東京同友会の前身である日本中小企業家同友会に設立2年目から参加している田山謙堂中同協顧問は次のように説明する。

 

「後に私が聞いた話では、全中協のリーダーの中には戦前の経済統制で大変痛めつけられ、苦労した人たちがいた。彼らには上からの統制は自由経済をゆがめ、中小企業の発展を阻害するものだという強い思いがあった。彼らは中政連の政策の中に、戦前同様の官僚統制のにおいを嗅いだのです。それではとても一緒に運動を続けていけないし、いくべきでないと考えたというのです」

 

■会員総数70人赤坂で設立総会

 

この時点で、全中協の大勢は中政連への加盟に傾いていた。これに対して、反対派は1957年、束原誠三郎、今井正作、山下保一といった各氏が中心となり、「中小企業団体法等反対連盟」を結成、粘り強く運動を進めていった。

 

両者の亀裂は大きく、束原氏らは「多数の全中協幹部の中政連への参加は全中協の精神の喪失である」として、57年4月26日、新たな組織「日本中小企業家同友会」の結成に踏み切る。当日、今は閉鎖された赤坂プリンスホテルの設立総会会場に集まったのは35人。会員総数は70人と、まさに烈風の中に生み落とされた赤子のようにはかない存在だった。

 

とはいえ注目すべきは、その設立趣意書である。

 

まず、①日本中小企業家同友会は、中小企業家の、中小企業家による、中小企業家のための会であり、「天は自らを助くるものを助く」の精神を自覚していること。

 

②中小企業の組織を全国一個に独り占めせず、多様な団体が共通の問題に対して協力し合うこと。

 

③中小企業の近似した層ごとに数多くの団体ができ、それぞれの利益を代表するとともに、共通の問題に対して対等の立場で協力し合うこと。

 

④②と③の確認が、会そのものの沈滞やボス支配を招来しない基礎となること。

 

⑤日本の国民経済には自主独立に欠け、独占の弊害が強まり、また、統制の風潮もあるとの認識を前提に、市場、金融、税制等の諸問題の解決こそ重要であると考え、今日の条件に適合すべき、中小企業運動を展開して新たなる寄与をなそうとすること。

 

当然と言えば当然だが、この設立趣意書の考えが連綿として今日の同友会運動に流れ込み、続いていることは、先の同友会定時総会のレポートと併せ読んでいただければ、よく理解いただけるであろう。敢えていえば、同友会はその基調に戦後民主主義が胚胎していた理想主義的思潮が流れているように見える。いずれにしろこの設立趣意書に盛り込まれた精神を基礎に、今や5万名を目前にした強靭な同友会組織が育まれたのだと言って間違いない。

 

それにしても、この時代にあって、なぜ同友会は9期連続で会員を増やすことができているのだろうか。
 

 

清丸 惠三郎
ジャーナリスト
出版・編集プロデューサー

 

 

※本連載は、清丸惠三郎氏の著書『「小さな会社の「最強経営」』(プレジデント社、2019年10月刊)より一部を抜粋・再編集したものです。肩書等は掲載時のまま。

小さな会社の「最強経営」

小さな会社の「最強経営」

清丸 惠三郎

プレジデント社

4万6千人を超える中小企業の経営者で構成される中小企業家同友会。 南は沖縄から北は北海道まで全国津々浦々に支部を持ち、未来工業、サイゼリヤ、やずや、など多くのユニークな企業を輩出し、いまなお会員数を増やし続けて…

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