登山における「自助・共助・公助」
ところが、登山条例で登山計画の提出を義務付けるのなら、「遭難したときの救助費用もすべて税金で面倒を見てくれますよね?」という話が出てきてしまったのです。
現実には、自分のスキルで対処しきれない問題が発生したり、そもそも自分のスキルが登る山に足りていなかったりするから遭難してしまうのですが、行政が関与することで事前の訓練や準備、責任をしっかり持って登山を楽しむという意識が薄くなってしまうのではないかという問題が指摘されることになりました。
身の回りの生活から医療などの社会保障、大規模災害に至るまで、「自助・共助・公助」という言葉が一般的です。登山に限っていえば、まずは自分でしっかりとした計画を立て、登山技術を身に着けてから山に登る、自助が大前提です。
登山計画書は、団体名や山さん行こうの参加者と連絡先、参加者の緊急連絡先などのほか、日程とルートの予定、荒天や非常時対策、緊急下山時のエスケープルート、食糧やテントをはじめとする装備品の計画を書き込むようになっています。趣味の山歩きサークルでも、気象図の書き方や読み方を先輩から教わったり、事前に山を歩くトレーニングをしたりします。登山が身近になったとはいえ、事前計画なしに山へ分け入るのは無謀な行為なのです。
こうした準備も、登山の楽しみのひとつです。数日間にわたる山行の食糧計画をしたり買い出しをしたりするのは、海外旅行で、どこに行ったら何を食べようかなとか、どの美術館を見に行こうかなとか、地図などの必要なものを揃えて準備することと同じです。そのうえで、jRO(日本山岳救助機構合同会社)で提供しているような保険に入ります。これが共助の部分です。登山をする人たち同士で助け合う仕組みです。
それでも、どうしても遭難してしまったときには、警察や消防を頼ることができるのが公助の部分です。準備から実際の山行まで、登山の楽しみは登っているときだけでも、山の頂上に着いたときだけでもないのですが、いきなり公助が全てとなってしまうと、登山を十分に楽しみ尽くすことができないと思うのです。
公助を前提にすると、細かいルールもどんどん増えます。提出された計画に問題が発生するたびに、対処のための工程が考えられていくからです。公助の部分でこれをやると、当然その分のコストは税金となります。そして最後にはルールでがんじがらめとなった登山の規制が完成します。
余暇にスポーツとして楽しむには余計な手続きが多すぎることになる、あるいは記録を作ることに挑戦するなど新しい試みができなくなるということで、決められたルートを決められた時期に決められた通りに登るのが登山になってしまいます。
それならば、登山をする人自身の自助と、同じ趣味を持つ仲間と助け合う共助を振興していくようにした方が、日本の登山の楽しみ方にとっては大事でしょう。登山のためのルールがまったくないことは問題ですが、どこまで何をルールとしていくかは常に議論の対象になると思います。
外国からの観光客で、日本の山に登ることを日程に入れている人たちもいます。外国人観光客の山岳遭難も増加していることから、各国語で登山計画の提出や準備、日本の山の特性や注意事項などの情報をアピールする用意をしておく必要があります。また、外国人観光客も含めた保険など共助の仕組み作りをまず行ったうえで、最後に遭難者救助をどうするかという話になるのは日本国民の場合と同じです。