2000年にかけての成長株式優位の相場を振り返る
きっかけは「急速な金融緩和」
まず、1998年夏に顕在化した巨大ヘッジファンドLTCMの破たん危機で、マーケットの流動性が干上がって『質への逃避』が起き、FRBは秋に3回の緊急利下げと流動性供給を行います。
[図表2]を見ると、ちょうどこのタイミングで株価が急落した後、金融緩和で急上昇することが確認できます【→緑の矢印のところ】。今回でいえば、パンデミックがLTCM危機に相当し、いずれも急速な金融緩和が行われ、株価は急反発しました。
もうひとつ付け加えておくと、米国成長株式はもう一度、急騰する局面があります。1999年末、「Y2K問題」でFRBが巨額の流動性を供給した局面です【→[図表3]の緑の矢印のところ】。いずれも金融緩和によって、米国成長株式は急騰しています。はじまりはいつも同じです。
成長株式優位の相場を終わらせたのは「急速なインフレ」と「急速な利上げ」
FRBは1999年6月に利上げを開始します。当初は「2会合に1回0.25%ずつ」のペースで利上げしていました。しかし、インフレ率が上向き始めます。
1999年8月までは2%程度であったのが、9月に2.6%、2000年2月に3.2%、翌3月には3.8%まで加速します【→[図表4]の緑の矢印のところ】。
FRBは、利上げを「毎回0.25%」にペース・アップし、最後は2000年5月で、「0.5%の利上げ」が実施されました。
当時は、利上げをさらに重ねる可能性について議論*していましたが、実際にはここで打ち止めとなり、この時点で、ナスダック100はピークから23%下落していました(→ちなみに、2000年5月のFOMCでは台湾の地震による半導体の不足が議論されており、これも今と似ています。情報技術、今でいえばデジタル化に関する設備投資の切迫感に供給不足が重なると、需要のさらなる強化が生じるわけです)。
今回の利上げの勢いは2000年に引けを取らない
前回の振り返りを踏まえて今回の状況を整理します。
都合、利上げの期間は「11カ月間」、(政策金利は4.75%から6.5%までで)利上げ幅は「1.75%」、利上げ回数は「6回」で、2000年にかけての成長株式優位の相場は終わりました。
対する今回、金融市場は、とりあえず今年3月からの「10カ月間」で、(政策金利は0-0.25%から1-1.25%までで)利上げ幅は「1%」、利上げ回数は「4回」で、「バランスシートの縮小開始」も見込んでいます。
ちなみに、量的金融緩和やフォワード・ガイダンスなどを考慮した『影のフェデラルファンド金利』は、昨年12月時点で「マイナス1.15%」であり、今年の事実上の利上げ幅を合計「2%超」と捉えることもできます。もしそうなら、2000年当時を上回ります。
筆者には、政策金利の現行水準の低さやこれまでの金融緩和の長さを考えると、「2000年に負けず劣らずの引き締め」に思えます。