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非常時だからこそ「笑い」で貢献できるとこ
たとえその事業が微々たるものであろうと自分の利益は少額であるとしても国家必要の事業を合理的に経営すれば心は常に楽しんで事に任じられる。
【『渋沢栄一伝記資料』青淵百話】
■僕たちの社会貢献って?
「お笑いや芸人にとっての社会貢献とは?」という質問を以前、受けました。雑誌の取材でしたが、「いきなり、難しい質問するね」と言った記憶があります。
自然災害などがあると、お笑い番組は意外なのですが、後回しにされがちになります。理由は、「そんなことをしている場合じゃないだろう」と、視聴者から言われるからです。
しかし、「そんなことをしている場合じゃない」ときこそ、笑いは必要だと僕は思っています。笑いやユーモアがないと、心に余裕がドンドンなくなっていくと思うのです。僕たち芸人は、非常時こそ笑いで貢献できると思っています。
コロナ禍においても、さまざまな文化イベントが中止になりました。日常生活から音楽や芝居にライブなどが消えてしまい、文化芸術が衰えると国が衰えるのかなと感じるほどでした。このたびのことで、文化に関わる仕事は社会には必要だということを、3・11以来9年ぶりに感じました。
このコロナ禍の後、「お笑いも、音楽もいらないよ」と思っている人はさすがにいないと思います。何かきっかけがないと笑えないものです。笑いたくないという人間はいないはずです。
■竹下通り散策は恥ずかしい?
これも同じく雑誌の取材で、「散歩」が話題になりました。このときに僕は、「渋谷とか原宿を歩くのが好きですね」と答えたまではよかったのですが、「竹下通りも散策しますよ」と答えると、女性の記者が「嫌だ~!」と一言。その「嫌だ~!」に、僕は表情を変えずに、心の中で落ち込みました。
僕は全然気にしてない風を装い、「竹下通りで雑貨を見ながら、ぶらぶらしているとすごく楽しい」と話しました。彼女はボイスレコーダーを見つめつつ、メモをとっていました。まるで、「ボイスレコーダーよ、止まれ」と念じているようでした。
しかし、僕は頑固です。竹下通り散策をやめるつもりはまったくありません。このご時世、「自分が人生をどう楽しむか」という、いわゆる他人軸ではなく、自分軸があることが大切だと思っています。うん。