(※画像はイメージです/PIXTA)

難関大学や医学部への進学を目指す学生にとって、高校3年間は「受験勉強を優先させる時期」というのが一般的な考え方だろう。しかし某国立大学医学部に首席合格した医師の岩橋晶子氏は、一旦受験のレールから外れ、海外に留学することを選択した。その経験から得た医師としての姿勢とは。当時を振り返りながら語ってもらった。

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頼むから銃のない国に…父の願い

中学3年生の時にアメリカとオーストラリアへの交換留学の募集があった。母が高校生の時にアメリカに留学していたためアメリカの方が親和性が高かったのだが、心配性な父から「頼むから銃のない国にしてくれ」と懇願されたため、オーストラリアを選択した。留学のために学校内での勉強はそこそこ頑張っていたため、無事選抜を突破することができ、晴れて高校1年生でのオーストラリアへの留学が叶った。

受験のレールから外れての留学

大学進学へ向けて受験勉強への不安がなかったわけではない。高校1年生といえば、大学受験を考えている学生からするとスタートダッシュの大切な時期である。その時期にレールから外れて留学をするには、かなり勇気が必要だった。しかし、当時私に英語を教えてくれていた塾の先生が背中を押してくれた。

 

「またとないチャンスを逃してどうする。英語は出来るようになって帰ってくるし、他の科目の勉強なんて帰ってきてからどうにでもなる」

 

留学に行くとブランクができ、塾としての合格率が下がるかもしれないのに、そうやって背中を押してくれたことは大変ありがたかったし、心から応援してくださっていたことが身に染みた。

 

そうして私は、今しかできない経験を大切にしたいと思い、留学に行く決意を固めた。

劣等生体験と優等生体験

留学するにあたって、現地校での授業を選択するのだが、私はart(美術)・cooking(家庭科)・dance(ダンス)・information technology(情報) ・ESL(英語以外を母国語とする人たちのための英語)・mathematics(数学)という、mathematics(数学)以外は受験勉強にはあまり関係ない授業を選択した。理由はただただ「楽しそう」だったからだ。
また、そこまで高度な英語力がなくてもどうにかなりそうという、今考えるととてつもなく甘い考えもあった。

 

いざ現地で授業を受けてみると、全然そんなことはなく、全く何を言っているのか分からない日々が続いて、毎日泣きそうだった。しかし徐々に友達ができ、その子達が授業についていけていない私にとても丁寧に教えてくれて、落ちこぼれながらもどうにかついて行くことができた。自分の勉強もあって忙しかっただろうに、劣等生の私の為に時間を割いてくれ、励ましてくれた。

 

ちなみにmathematics(数学)は、日本の方がオーストラリアより進度が早いため、すでに習ったことをもう一度習う状態であった。そのためスラスラと解けるので、数学の先生に“You are crazy!(あんたは頭おかしいよ!)”と言われた覚えがある。なるほど、優等生はこんな気分なのかフムフム、と一時の優等生体験を味合わせてもらったが、今思えば割と嫌なやつだ。

 

週末にはホストファミリーが学校の友達を呼んで家でウェルカムパーティーを開いてくれたり、シアターに劇を見に行ったり、朝にジョギングがてら公園に散歩に行ったり、海岸沿いの海の見えるレストランでディナーに連れていってくれたり、飛行機に乗って小旅行をしたりと、とても貴重な経験をさせてもらった。

 

それまで日本では学校→部活→塾→家の往復しかしていなかった私にとって、はじめての経験ばかりで本当に感動した。多少大げさではあるかもしれないが、生き生きとした自分がそこにはいて、夢のような時間であった。

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