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養老先生の肺に影を作った「1970年代の東大医学部」
東大病院を受診したのは26年ぶりでした。2020年6月24日に受診したのですが、そのときに出した診察券が古すぎて使えないといわれ、作り直さなければなりませんでした。
前回の受診は57歳、まだ東大の解剖学教室で教えていた頃です。その当時、ものすごいストレスを抱えていたのだと思います。
体調がすごく悪かったので、レントゲン写真を撮ったら、肺に影がありました。タバコを吸っていますから、肺がんかもしれないと思いました。
そのとき、ずっと考えたんです。こんなストレスばかりかかる生活を続けていてはしょうがないから、別のことをしようかと考え始めました。
その後、CTを撮って詳しく調べたら肺の影はがんではないことがわかりました。でもがんでなかったのはたまたまです。今は何でもないとしても、また何があるかわかりません。
それでふんぎりがついて、東大をやめることにしたのです。そのときは、残りの人生は虫捕りだけをして過ごそうと考えていました。
ストレスの原因というのはいろいろあったと思いますが、その1つが医学の変化でした。1970年代から医学も生物学もガラッと変わってきました。
分子細胞生物学のような新しい学問が生まれて、解剖学のような古い学問の立ち位置が危うくなってきたのです。
当時、東大には解剖学の講座が3つありました。それを1つにすることになったのです。3つを1つにすることで、教師も学生も人数が3倍になりますから、いろんなことができるようになります。そこに分子細胞生物学も入ってきたのです。
学問というのは論文の数とか、論文から引用された数で評価されます。しかし古い学問というのは新しい論文が発表されにくくなっていきます。
その結果、解剖学教室に分子細胞生物学の研究者が入ってくるようになってきたのです。
古い学問といっても、医学教育には解剖学が必要なので、分子細胞生物学の研究者が解剖実習を担当するようになってきたわけです。それで、解剖学教室を分子細胞生物学教室に変えたほうがよいのではないかということも言われ始めました。