若いヤツらは僕たちが憧れた生き方をしている
新しき時代には新しき人物を養成して新しき事物を処理せねばならない。
【『渋沢栄一訓言集』学問と教育】
■46歳、「お笑い中間管理職」の僕は、新しい人材ですよね?
この小見出しは、哀愁漂う小見出しで、涙が出るほど見苦しい小見出しです。この言葉は、読んでいるとだんだん苦しくなってきます。思い切って若い者に任せるという決断も、必要なときが少しずつ増えてきているように思います。
決断者である僕が46歳。決断しづらい年齢ではないでしょうか?
46歳、心と体、どちらにもたくさんの若さがまだ残っていますので、難しいです。僕の年齢が決断を難しくさせるのは、まだ30代の気持ちがすごく強いからでしょう。そのへんの感覚の難しさがあります。気持ち的には、正直なところまだ35歳ぐらいです。
しかし、生身の実際の30歳、35歳がこちらを見たときに、彼らは間違いなく僕を46歳と見るでしょうね。そして、自分たちとの違いを的確に言えるはずです。僕の思いとは全然違うでしょう。
この点を、強引に見て見ぬふりをしての読み違いは、今で言う老害になりかねないという気持ちがあります。
■僕は若いヤツらが羨ましい!
今の若いヤツらは、僕たちが若い頃、20歳ぐらいのときに憧れた生き方ができています。
「嫌な飲み会に行かない」「無理に付き合わない」とか、僕が社会に出たときに、「そういうふうになっていたらいいな」ということが、今の若い人にはできるようになっていて、羨ましい気持ちがあります。
40代の僕たちは、そういうふうに生きてこなかった世代です。でも今は、「俺は我慢して飲みに行っていたぞ」というのを、押し付ける時代じゃなくなりました。自分がされたことをよしとすることができない、そこに僕たちの苦悩があります。自分が学んできたことが活かされない、自分たちもアップデートしないといけない時代になったことを目の当たりにして、少し苦しいかもしれません。
その少し苦しい感じを、こんな事例でリアルに表現したいと思います。僕の感性では、何か不祥事やトラブルがあったら、「おまえ、バウムクーヘン持って謝りに行って来い」みたいな感性です。そんなことを、若い頃から叩き込まれました。
今の若者たちは、「えっ、えっと、なんでバウムクーヘンなんですか?」と突っかかれちゃう感じです。「俺、バウムクーヘン、食べないですけどね」みたいな。
「おまえじゃないんだよ!」というやり取りがあるわけです。「相手にあげるんだよ、これは」と、さらに解説が必要な時代になりました。
書いていて、46歳のモヤモヤ感の濃度が濃くなってきました。
ビビる大木