(※画像はイメージです/PIXTA)

人はたとえ「ひとりぼっち」だったとしても、疎外されていると感じなければ、「疎外感」は覚えません。「孤独」が即座に疎外感を生み出すわけではありません。どうしたら孤独に飲み込まれないようになるのでしょうか。※本連載は精神科医である和田秀樹氏の著書『孤独と上手につきあう9つの習慣』(大和書房)から一部を抜粋し、再編集したものです。

「孤独は悪いものではない」という真実

■「孤独=悪」は作られた既成概念

 

では、どうしたら孤独に飲み込まれないだけの強さを獲得できるのか。

 

まずひとつには、「孤独は決して悪いものではない」と認識し、自信を持つことです。

 

日本という社会のなかでは、「孤独=悪」として捉えられることが多々あります。

 

食事をするのも、飲みに行くのも、旅行に行くのも、ショッピングに行くのも、誰かと一緒でないとイヤだ。寂しそうな人だと思われたくない。一緒に行ってくれる相手がいないと思われたくない。

 

子どもがひとりぼっちで遊んでいたら、親は「ウチの子には友達がいないのだろうか。かわいそうな子だ。大丈夫か」と心配する。

 

周囲から「友達のいない人だ」と見られることが怖いという。(※画像はイメージです/PIXTA)
周囲から「友達のいない人だ」と見られることが怖いという。(※画像はイメージです/PIXTA)

 

「便所飯」「ランチメイト症候群」が話題になったときには、日本人の約2割がひとりで食事をすることに抵抗があるといわれました。「便所飯」も「ランチメイト症候群」も、学校や職場で昼食を一緒にとる相手がいないのが恥ずかしくて、トイレや図書館などで隠れてお弁当を食べることをいいます。

 

実際、私もある男子大学生から、こう聞いたことがあります。

 

「学食でひとりで昼飯を食べていたら、いかにも友達のいない人間だと思われそう。だから、学食に行くときにはスマホで誰か友達をつかまえてから行きます。誰もつかまらないときには学食には行きません」

 

これは、実際にひとりでいるのが寂しいわけではないのです。

 

周囲から「友達のいない人だ」と見られることが怖いのです。

 

「友達がいない」という言葉は、「人間としての魅力に欠けている」ということとほとんど同じ意味で使われている。他人の視線がプレッシャーになって、孤独は悪いこと、恥ずかしいこと、健全ではないこと、なんとなく低く見られることになっているのです。

 

昔、日本にあった「村八分」の文化では、みんなと同じ共同体に属すことがひとつのステータスであり、美徳でした。立派な人間であると認められるためには、みんなと同じ共同体に属すことが条件だったのです。

 

そこに属せない人たちは、下に見られて「村八分」にされました。それは一般の村人たちにとって、なによりも恐ろしいことであったのです。

 

こうした価値観は、「村八分」にされることこそ払拭されつつあるとはいえ、「美徳」であったほう、つまり「共同体に属す」という感覚はいまだに深く根を張っています。

 

とくに学校文化に根強く残り、社会人になってからもその価値観を引きずっている人が
多いのでしょう。

 

次ページひとりの時間は大切な思索のための時間
孤独と上手につきあう9つの習慣

孤独と上手につきあう9つの習慣

和田 秀樹

大和書房

人間はそれほどストレス耐性の強い生きものではないという。 孤独や疎外感がいかに人を生きにくくさせているか、ストレスの原因になっているか。実際、病気にはなっていないけれども自分の居場所で安心してくつろげないという…

公立・私立中堅校から東大に入る本

公立・私立中堅校から東大に入る本

和田 秀樹

大和書房

教育書を多数執筆し、多くがベストセラーになっている実績をもつ和田秀樹氏の渾身の書。 2020年の入試改革への備えにもふれ、具体的なノウハウを数多く入れた。 いわゆる「地頭のいい子」でなくとも、東大を目指せる、合…

人気記事ランキング

  • デイリー
  • 週間
  • 月間

メルマガ会員登録者の
ご案内

メルマガ会員限定記事をお読みいただける他、新着記事の一覧をメールで配信。カメハメハ倶楽部主催の各種セミナー案内等、知的武装をし、行動するための情報を厳選してお届けします。

メルマガ登録
会員向けセミナーの一覧