「孤独は悪いものではない」という真実
■「孤独=悪」は作られた既成概念
では、どうしたら孤独に飲み込まれないだけの強さを獲得できるのか。
まずひとつには、「孤独は決して悪いものではない」と認識し、自信を持つことです。
日本という社会のなかでは、「孤独=悪」として捉えられることが多々あります。
食事をするのも、飲みに行くのも、旅行に行くのも、ショッピングに行くのも、誰かと一緒でないとイヤだ。寂しそうな人だと思われたくない。一緒に行ってくれる相手がいないと思われたくない。
子どもがひとりぼっちで遊んでいたら、親は「ウチの子には友達がいないのだろうか。かわいそうな子だ。大丈夫か」と心配する。
「便所飯」「ランチメイト症候群」が話題になったときには、日本人の約2割がひとりで食事をすることに抵抗があるといわれました。「便所飯」も「ランチメイト症候群」も、学校や職場で昼食を一緒にとる相手がいないのが恥ずかしくて、トイレや図書館などで隠れてお弁当を食べることをいいます。
実際、私もある男子大学生から、こう聞いたことがあります。
「学食でひとりで昼飯を食べていたら、いかにも友達のいない人間だと思われそう。だから、学食に行くときにはスマホで誰か友達をつかまえてから行きます。誰もつかまらないときには学食には行きません」
これは、実際にひとりでいるのが寂しいわけではないのです。
周囲から「友達のいない人だ」と見られることが怖いのです。
「友達がいない」という言葉は、「人間としての魅力に欠けている」ということとほとんど同じ意味で使われている。他人の視線がプレッシャーになって、孤独は悪いこと、恥ずかしいこと、健全ではないこと、なんとなく低く見られることになっているのです。
昔、日本にあった「村八分」の文化では、みんなと同じ共同体に属すことがひとつのステータスであり、美徳でした。立派な人間であると認められるためには、みんなと同じ共同体に属すことが条件だったのです。
そこに属せない人たちは、下に見られて「村八分」にされました。それは一般の村人たちにとって、なによりも恐ろしいことであったのです。
こうした価値観は、「村八分」にされることこそ払拭されつつあるとはいえ、「美徳」であったほう、つまり「共同体に属す」という感覚はいまだに深く根を張っています。
とくに学校文化に根強く残り、社会人になってからもその価値観を引きずっている人が
多いのでしょう。