社会的イノベーションに必要なチャレンジの量
■知的生産の「質」と「量」の関係性
私たちの高原社会が抱えている課題の多くは、経済合理性限界曲線の外側に存在しており、必ずしも解決によって大きな経済的利得が得られることが保証されていません。このような課題に社会全体が果敢にチャレンジしていくためには、結果がどうであっても、どのみち生きていくのに困ることはない、というセイフティネットが必要になります。
なぜなら、社会的イノベーションを成功させるためにもっとも重要なポイントは、社会全体としてのチャレンジの「量」を高い水準に保つことにあるからです。
これは拙著の『世界で最もイノベーティブな組織の作り方』においても触れた点ですが、アイデアの「質」を左右するもっとも重要なファクターは、アイデアの「量」です。
カリフォルニア大学デイビス校の心理学教授、ディーン・サイモントンは、作曲家や科学者の知的生産活動を精査し、彼らの知的生産の「質」は、その「量」によって生み出されていることを明らかにしています。一般に「量と質」はトレードオフの関係にあると考えられていますね。多くの人は「質を求めれば量が犠牲になる」し、「量を求めれば質が蔑ろにされる」と考えます。なので「量が質を生む」というサイモントンの指摘は、にわかには信じがたいかもしれません。
しかし、あらためて「傑作が生まれるメカニズム」について深く考えてみれば、この指摘が当たり前のことを言っているに過ぎない、ということがよくわかると思います。というのも、そもそも創造性というのは偶発的で予定調和しないという特徴をもっているからです。
さまざまな試行錯誤が数多く行われ、いわば「アイデア」と「取り組み」の自然淘汰が起きることで、結果的に優れた「アイデア」と「取り組み」が生き残って成果を生む、というのが、イノベーションが生まれる発生過程の現実です。確率が一定であれば母集団を増やすことでしか成果を大きくすることはできません。
その証拠として、サイモントンは、科学者であれ作曲家であれ、その人物の最高の成果は、その人物がもっともたくさんのアウトプットを生み出している時期に生まれているということを明らかにしています。そしてまた同時に、その時期は、その科学者や作曲家の人生において「もっともダメな論文・作品」もまた生み出される、ということを指摘しています。
これはつまり、失敗を気にして慎重になることで「取り組みの量」が減ってしまえば、結果的に「質」もまた劣化してしまうということです。私たちは「成功」というものの反対側に「失敗」というものを対峙させ、前者を求めながら、後者はできるだけ避けたいと考えています。しかし、これまでに紹介した考察は、そのような「いいとこ取り」はできないということを示しています。