格差が出ることが当たり前だった明治時代の民主主義の時代。そんな中、渋沢栄一は慈善事業で、東京養育院など貧しい方に施すような組織を作るなどその異色さが伺えます。彼は一体どんな思想を抱いていたのか。歴史好きとして知られるお笑い芸人のビビる大木さんが解説します。※本連載は、ビビる大木氏の著書『ビビる大木、渋沢栄一を語る』(プレジデント社)より一部を抜粋・再編集したものです。

気付いたらぬるま湯に浸かっている怖さ

格差がない社会は元気がない社会である

富の分配平均などとは思いも寄らぬ空想である。要するに富むものがあるから貧者が出るというような論旨の下に、世人がこぞって富者を排擠(はいさい)するならば、いかにして富国強兵に実を挙ぐることが出来ようぞ。

【『論語と算盤』算盤と権利】

 

■「明治時代」、近代の始まりこその若さ

 

今、この言葉を大声で言うと、見知らぬ周囲の方たちから怒られてしまうかもしれません。そこに、現代という時代の時代性が表れています。

 

現代は、「民主主義」以上に、「平等主義」に関心の比重が傾いているように思います。しかし、渋沢さんが生きた時代、「明治時代」は日本近代の始まりの時期です。富国強兵によって、日本の経済力を高め、日本を豊かにしようという獅子奮迅の時代でした。

 

この言葉が言わんとすることは、当時の方たちからしたらごく普通の現実認識でした。とてもリアルです。「民主主義」は、格差が出て当然の主義だという前提もありました。

 

渋沢さんは、このあたりをどう考えていたのでしょうか。慈善事業で、東京養育院など貧しい方に施すような組織をつくっています。本当に稼ぎがある人は、社会のフォローも必要という精神でした。

 

三菱、三井の財閥系の人たちはもう彼らだけでの争いですから、それぞれが強く切磋琢磨だと突き進みました。貧者には関心がありません。しかし、渋沢さんは、現在で言うところの稲盛和夫さんに近い思想も持っていたような気がします。

 

こうした明治の時代に生きた方たちから見たら、僕たちは「ぬるま湯に浸かっている」ように見えるかもしれませんね。本当に耳が痛くなります。

 

46歳にもなると、ぬるま湯の気持ち良さを知っています。ところが、渋沢さんは「そうじゃない」と言います。ぬるま湯に浸かっていると、それで結局、温度がわからないので、そのうち茹だって死んでしまうことになる。そういうたとえが「ぬるま湯に浸かっている」ということだと思います。

 

20代の若者からしたら、46歳の先輩を見て、「ぬるま湯に浸かってるよな、あの人」と思われているかもしれないですね。

 

僕も20代のとき、大人たちをそう見ていたはずです。「あの人いろいろ言ってくるけれど、なんもやってねぇよな」。自分がその年齢になると、若い人間に、「じゃ、おまえはちゃんとやってるか」と問われたら下を向いてしまいます。人間の難しさですね。

 

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ビビる大木、渋沢栄一を語る

ビビる大木、渋沢栄一を語る

ビビる 大木

プレジデント社

歴史好き芸人・ビビる大木が、 同郷の偉人・渋沢栄一の遺した言葉を紐解く! 「はじめまして、こんばんみ! 大物先輩芸人と大勢の後輩芸人の狭間で揺れる40代『お笑い中間管理職』の僕。芸人としてこれからどうやって生き…

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