人が発明するのは、発明が面白いから
人類のなかでも最高度の創造性を発揮した人物が、もっとも仕事にノッているときにはコンサマトリーな状況にあるのだとすれば、「未来のためにいまを犠牲にする」というインストルメンタルな思考様式・行動様式から、コンサマトリーなそれへと転換してしまったら、社会は無気力で自堕落なものになってしまうのではないか、という懸念は杞憂であり、実際にはむしろその逆だということになります。
チクセントミハイは、次のように書きます。
<「創造的な人々はさまざまな面で互いに異なっているが、ある一点において一致した意見を持っている。それは自分の仕事に強い愛情を持っているということである。彼らを突き動かしているものは、名声欲や金銭欲ではなく、楽しみを得ることのできる仕事の機会そのものである。」
ジェイコブ・ラビノウはこう説明している。「人が発明をするのは、発明がおもしろいからです。私は「どうしたらお金を稼げるか」などと考えて仕事を始めたりはしません。たしかに、世の中は厳しく、お金は重要です。しかし、自分にとって楽しいこととお金が儲かることのうち、どちらかを選ばなければならないとしたら、楽しいことのほうを選ぶでしょう」。
小説家のナギーブ・マフフーズはより上品な口調で同意する。「仕事から生み出されるもの以上に、仕事自体が好きなのです。結果に関係なく、仕事に打ち込みます」。実施したインタビューのすべてにおいて、私たちはこれをまったく同じ感情を見出した。>
ミハイ・チクセントミハイ『クリエイティヴィティ』
ラビノウもマフフーズも「仕事によって得られる何かよりも仕事そのものが報酬になっている」という点で共通していますが、チクセントミハイによれば、この点こそが「インタビューしたすべての創造的な人々に共通する唯一の点だった」と言っているのです。
チクセントミハイによる一連の創造性研究に接していて感じるのが、どうも私たち人間には、最高度の創造性を発揮している状態を「身体的な快楽」として感じるような生理的プログラムがインストールされているらしい、ということです。
■「幸福感受性」が摩耗されてしまっている
チクセントミハイ自身は、そのような仮説を進化の枠組みから説明しています。
いまあなたが創造主となって、新しい生命を地球に生み出すとします。火山が爆発するとか津波が押し寄せるとか、考えられるようないろいろなトラブルを想定して、それに対処できるような身体や精神の能力を与えようとしますが、すべてのトラブルを事前に想定することはできません(まあ創造主ならできるのかもしれませんが、ここではできないことにしておきましょう)。
そこで、すでに有用性が確認されているやり方だけでなく、さまざまな新しいやり方を試行錯誤するという行為自体に「快感」を感じるプログラムをインストールすることで、斬新なアイデアや行動を思いつく可能性を高めることが求められます。
「創造性を発揮する」「夢中になる」ということが一種の身体的快楽を伴うのは、そのような特性をもった個体のほうが生存・繁殖に優位だったからだ、という仮説です。