「自分たちでも受かるはず」という空気感
■「私は受かる!」という実感がかなり重要
灘高の勉強法を身につけた弟が東大に現役合格したあと、実に面白い現象が起きました。
弟が通っていた高校では、弟がその成績で受けるならと、京大、阪大レベルの受験生が東大を受け、その年になんと7人の東大現役合格者を出しました。それが噂になって、後輩たちが「あんな成績が悪かった先輩でも東大に受かったのなら、自分たちも受かるはず」と考え、勉強法を真似するようになったといいます。
結果、翌年の東大合格者が2ケタを超え、そこから、その高校自体の学力レベルが急に上がっていきました。なんと、数年のうちに毎年20人以上の現役東大合格者を輩出するまでになったのです。こういう「空気感」みたいなものは、なかなかあなどれない要素だと思います。
灘高も、かつては「京大進学者を多数輩出する関西の名門校」という位置づけでした。
しかし、昭和30年代に京大合格者数が全国1位になったのをきっかけに、「京大に合格できるなら、東大にも合格できるはず」というムードが高まり、一気に東大合格者数を増やした歴史があったと聞いています。
つまり、「東大に合格できる」というムードが醸成されれば、一気に受験の合格状況が変わる可能性があるということです。
日本には、東大に毎年1人合格できるかどうかという高校が、それなりの数で存在しています。そういった高校は、進学校といえば進学校なのですが、歴史的に、東大合格にリアリティを感じていません。
東大や京大を目指すという発想すら持たず、特に地方の場合は、どんなに優秀な成績でも地元の国立大学をかたくなに志向する傾向もあります。
そういった、中堅校の生徒でも「東大に合格できる」という実感を持ち、勉強のやり方を変えたら、劇的に状況が変わるのです。
■「東大合格」にあこがれを持たせる
もうひとつ重要なポイントは、東大へのあこがれです。かつて群馬県は、北関東(群馬、栃木、茨城)三県の中で、もっとも多くの東大合格者を輩出していました。これは、私が想像するに、福田赳夫や中曽根康弘といった、東大の中でも俊英とされた人物が要人として出世していった歴史と深く関係しているはずです。
おそらく、かつて群馬の一般家庭では、親が子どもに向かってこのような言葉をかけていたのではないでしょうか。
「勉強を一生懸命がんばって、福田首相みたいなエライ人になるんだよ」
「中曽根さんはこの町から羽ばたいていったんだ。お前にだってできるはずだよ」
ところが時代が移り変わるにつれ、その風向きも少しずつ変化してきました。