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「経営指針を確立する運動」について
現在、中小企業家同友会全国協議会(中同協)会長の広浜泰久氏が経営するヒロハマが、「小さいけれどピカッと光る企業」に変身できたのは、「同友会活動に加わって学んだことが大きい」と広浜氏は語っている。広浜氏が語る「学んだこと」とは具体的には、髙島英也(元サッポロビール社長)氏も触れている「経営指針」の作成運動にかかわってのものだと言って間違いない。
ここでは、1977年に「経営指針を確立する運動」をスタートさせて以来、中小企業家同友会が基幹的な活動として組織を挙げて推進してきた、この「経営指針成文化」という活動の内容とそれがいい会社づくりにどう関わっているのかに関してレポートしていきたい。
同友会における経営指針づくりは、経営コンサルタントなどが主導する、多くは経営者に主眼を置いたものとは異なった特色があり、「経営理念」「10年ビジョン」「経営方針」「経営計画」の4項目の要素から成り立っている。それぞれの内容、なぜそうなったかについての説明は後段に譲るとして、この各同友会の成文化セミナーに参加し、修了証を得ることは、真面目に勉強し、活発に議論を戦わす中小企業家の集団、中小企業家同友会の真のメンバーとなるための、実に厳しい第一関門だと言っていい。
中小企業家同友会全国協議会前会長の鋤柄修相談役幹事によると、「かつて一部の同友会の活動は飲み会などの交流にとどまっており、小さな同友会では組織が脆弱なために経営指針セミナーを独自に開くこともできなかった」という。会員の質にばらつきがあり、各同友会の体質にもかなり違いがあったのである。
しかし、バブル経済の崩壊を受けた90年代半ばから、それではいけないということで「経営指針を確立する運動」が広く各地で根づいていき、それにともなって「3つの目的」から始まって「労使見解」などに至る同友会の基本理念、原則が浸透していき、今日のようによし悪しは別にして、いささか金太郎飴的な同友会組織が成立したと見ていい。
「今では都道府県をはじめとする各地方自治体の同友会に寄せる信頼度は、まじめに勉強している団体である点を含め、かつてないほど高まっている」と鋤柄氏は、長い苦闘の成果をこのように語る。
そう見てくると、同友会運動の活性化のベースにあるのは「経営指針成文化」活動であり、そこでまず挙げられるべきは、「経営理念」の作成であることは間違いあるまい。
もっともこの点に関して、変化の激しい現在、今さら「経営理念」などといったお題目を唱えてみても始まるまいという声が、若い経営者の間から聞こえてきそうである。実は同友会に入会してくる人たちの間にも、そうした声はなくはないと聞く。経営は技術と捉えるMBAを取得するためのビジネススクール出身者などには、ことにそうした傾向が見られるようだ。
また彼らはアメリカ型のトップダウン型経営になじんでおり、経営理念をつくるにしてもトップが自らの経営哲学に即してつくればいい、その理念を受け入れられる社員のみが付いてきてくればいいのだという割り切った考え方をする人も少なくない。
しかし、2001年に起きた世界的なエネルギー会社エンロンの経営破綻などを機に、お膝もとのアメリカの有力MBAではコーポレートガバナンスとともに、経営者の倫理性を講座に組み込む傾向が強まってきたとされる。
別の言い方をすると、資本主義経済、自由主義経済の本場であるアメリカでも、あらためて企業の社会的責任(CSR)と経営者の倫理性、その規範となる経営理念が重視されるようになってきているのだと言って間違いない。露見さえしなければ、利益を上げるために企業や経営者は何をやってもいいという時代は終わりを迎えているのだ。
著者自身も企業における「経営理念」の重要性を認める一人だが、そうなったのは、近江商人や松阪商人など日本の伝統的商家が創業者あるいは中興の祖が書き残した家訓、あるいは遺訓を遵守することによって何世紀にもわたり生き残ってきたという事跡を数多く学んできただけでなく、自ら以下のような事例を目撃したからである。