ある日突然、老親が緊急搬送で入院という事態が起こります。介護は毎日のことなので、使命感だけでは長続きはしません。10年以上、仕事をしながら父母の遠距離介護を続けてきた在宅介護のエキスパートは、「介護する人が幸せでなければ、介護される人も幸せにはならない」と訴えます。入院や介護に備え、知っておきたい制度やお金の話から、役立つ情報、具体的なケア方法までを明らかにします。本連載は渋澤和世著『親が倒れたら、まず読む本 入院・介護・認知症…』(プレジデント社)から抜粋し、再編集したものです。

実子が親の介護をするなら、私しかいない

同居介護 父…要支援2 母…要介護1

 

父は、夜中に連れてきて翌朝、病院を受診し入院。そのまま帰らぬ人になった。

 

元気だった父が先に逝くとは考えてもいなかった。父が入院をしていたとき、母はひとりでお見舞いに出かけてしまった。中学生の息子は認知症のことを理解しておらず母が外出するのを見送っていた。徒歩5分で病院には着くものの病室が理解できずウロウロしていた。父の名前は言えたので毎回、病室まで連れていってもらったという。その話を後に受付の人から聞いた。

 

だが、病院までは踏切も信号も渡るので、今となっては何もなくて良かったというしかない。きちんと家族に母のことを説明しなかった自分が悪いのだ。本当に運良く家に戻れたり、私が見つけたりして家に連れ戻すことができたが、見つからなかったら行方不明になってしまう。徘徊は行くあてが本人にはあり、わからないから進むうちに余計わからなくなってしまうのだろう。

 

洗濯ものを畳むのが母親の仕事になったという。(※写真はイメージです/PIXTA)
洗濯ものを畳むのが母親の仕事になったという。(※写真はイメージです/PIXTA)

 

父が亡くなる3日前から、私は母とともに病院の個室に寝泊まりしていた。個室に移るというのは死期が近いということ。職場には理由を話し有給休暇をとっていた。母は、病室が家だと勘違いをしていた。どこでも自分の家と思えるのはすごいし、幸せかもしれない。病室に入ってくる看護師さんに「いらっしゃい」などと対応をしている。

 

ただ、混乱はしている。父の死期が近づいていることは理解していない。この頃、家では私のことをまだわかっていた。「かずちゃん」と呼んでくれていた。ところが病院では「よしこちゃん」と、いとこの名前で呼ばれた。入院したとき「母を残して先に逝けないね」と聞いたら「そうだな、逝けないな」と話していた父。

 

母はよしこちゃんを繰り返す。よしこちゃんじゃないから! そのやりとりを見ていた父がお迎え間際というのに困った表情を見せた。心拍停止の直前「おばあちゃんのことは任せて。私が面倒を見るから」。その瞬間、ものすごい力で手を握り返してきた。同時に父は旅立った。頼んだぞという意味か。この出来事が母と在宅で一緒に暮らすという選択のきっかけになった。

 

私は兄を10年以上前に亡くしている。完全にひとりっ子だ。兄には嫁や子どもがいたが、母のことで迷惑はかけられない。なにより義姉には子どもたちを守ってほしかったからだ。それに今は嫁が介護をする時代ではない。実子がする時代だ。義姉も自分の親を娘として支えていた。男、女ではない、実子が親の介護をするのだ、私しかいない。

 

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親が倒れたら、まず読む本 入院・介護・認知症…

親が倒れたら、まず読む本 入院・介護・認知症…

渋澤 和世

プレジデント社

高齢化が進む日本では現在、介護ストレスによる介護疲れが大きな問題だ。そこで本書では、仕事や育児との両立を前提に、「完璧な介護」ではなく「頑張りすぎない介護」を提案する。 正社員としてフルタイムで働きながら、10年…

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