患者の言葉から推定した事前確率は検査結果より重い
真実に近づくためのツールには、「平均への回帰」という統計学的法則があります。
こちらはどういうものなのか、具体例を挙げて説明してみましょう。
発熱と咳が続いている患者さんがいます。事前確率は低いけれども、新型コロナらしき症状が出ているので、PCRをしました。結果は陽性でした。つまり「この人は新型コロナの感染者です」という検査結果が出た。
こういうケースでは、もう1回検査をします。ベイズの定理からすると、この人が本当に陽性かどうか疑わしいからです。でも、2回目も陽性であれば、それ以上は疑いません。陽性の患者さんとして扱います。しかし、2回目が陰性になった場合は「陰性が正しい」と判断します。
かつて読売ジャイアンツの2選手に「微陽性」が出たケースでは事前確率が低く、1回目が陽性、2回目が陰性でした。彼らはその後、発症していません。チーム内に感染が広がることもありませんでした。結果として「2回目の検査のほうが正しかった」と推定できます。
逆もまた真なりで、事前確率が高いときに「1回目が陰性で、2回目が陽性」なら、「陽性が正しい」と、僕たち医者は判断します。2回の観測結果が得られたとき、1回目よりも2回目のほうが平均に近い――という統計学的現象があって、これが平均への回帰です。
これは頻度的に平均値の近くに事象が起きやすく、平均値からはずれれば外れるほど起こりにくくなる(多くの場合は正規分布、この場合はベルヌーイ分布に従う可能性が高い)からです。
つまり「その患者さんはどういう患者さんなのか」という医者の見立てが、ここでもやはり最重要ファクターになるわけです。別の言い方をすれば、検査結果よりも患者さんの言葉から推定した事前確率のほうが重い場合すらあるのです。
事前確率がゼロの人にPCR検査をしてはならない
もちろん、だからと言って。PCR検査の能力は現状通りでいいと言っているわけではありません。
事前確率が高い人がワッと増えたときには、PCRを増やさなければなりません。その備えとして、検査体制のキャパシティをあらかじめ拡大しておく必要もあります。
しかし、たとえば1日に10万件のPCRを実施できる体制を作ったからといって、毎日10万人の検査をする必要はまったくないのです。
1日に10万人の検査ができる。だから毎日、10万人の検査を実施する。それはいわば、火事が起きていないのに火災報知器を鳴らすようなものです。消防隊がすばやく火災に対応できるよう、火災報知器をたくさん設置するのは間違いではありません。しかし、「火災報知器があるから」という理由で毎日それを鳴らせば、消防隊員たちがムダに疲れるだけです。
新型コロナとPCRの関係もこれと同じです。検査の必要があると判断された人が1人もいないのなら、PCRもゼロでなければいけません(日本においては2020年10月に至るまで市町村レベルでは、新型コロナ感染者の存在がゼロか、それに近い状態であり続けている地域が多いことを忘れてはいけません)。
事前確率ゼロ、あるいはほぼゼロの人に検査をすれば、保健所職員も検査技師さんもムダな労力を奪われます。検査キットや防護具がムダに消費されます。場合によっては偽陽性という結果が出て、救急隊員や医者や看護師さんが、必要のない仕事を抱えることになります。
しかし現実には、「1人でも多くの人がPCRを受けるべきだ」ということを言う医者がいます。「PCRの陽性/陰性は科学の問題ではない。気持ちの問題なんだ」なんてことを言う医者もいます。医者が科学性を放棄して検査に走ってしまうのは大問題なんですけどね。
岩田 健太郎
神戸大学病院感染症内科 教授