「念のため」の恐ろしさ…HIV検査偽陽性を事例に
偽陽性の問題について、僕は今までHIV検査で何度となく経験してきました。出産前の妊婦さんや手術前の患者さんに「念のため」という理由で――事前確率は高くないのに――HIV検査が行なわれることがしばしばあります。
HIVの検査は感度/特異度がともに高く、すぐれた検査です。しかし「念のために」という理由で事前確率の低い人を検査したとき、陽性結果のほとんどは「ガセ」になります。
ですから、出産前や手術前にルーティンでHIV検査をするべきではありません。事前確率を見積もって、高いと判断したときだけ検査をすればいい。しかし実際は、ルーティンで検査することが多い。
陽性反応が出ると、こんな連絡が来ます。
「岩田先生、大変です。手術前の患者さんに念のためHIV検査をしたら、陽性でした。うちの病院ではHIVは診られませんから、すぐにそちらに転院させます」
それで転院してきた人が本当にHIVに感染していた事例は、ごくわずかしかありません。圧倒的多数はガセ、つまり偽陽性です。
「あなたの検査結果はHIV陽性です」
そう言われた患者さんは、大ショックを受けます。頭の中が不安でいっぱいになります。患者さんのご家族にしても、それは同じだと思います。
そうした苦痛は、まったく必要のない苦痛です。そしてまた、僕たち感染症医は偽陽性という理解しにくい問題について、細かく詳しく患者さんに説明して、安心してもらわなくてはなりません。
新型コロナのPCRで偽陽性が出たケースでも、同じようなムダが生じます。間違って陽性と判定された人は、入院や宿泊施設での隔離といった無意味な行為を強いられます。その結果、本来入院しなければならない人のスペースが足りなくて、入院しそびれてしまうことも起こりかねません。
事前確率が0.1パーセント未満で、なおかつ無症状の人には、どんな検査であれ「念のため」は無用です。それはむしろ、有害ですらあります。にもかかわらず「手術前だから」「出産前だから」という理由でルーティンの検査が今でも行われているのは、ベイズの定理を知らない医者が少なからずいるからです。