「急に病院に運ばれてきた妊婦にPCRは必要か」という議論があります。しかしその人がコロナウイルスに感染している確率が高い生活を送っていたかどうかによって、医師は検査や隔離の有無を変えます。この判断のもととなる「検査前の確率」を推定する方法について、詳しく解説します。※本記事は、岩田健太郎氏の著書『僕が「PCR」原理主義に反対する理由』(集英社インターナショナル、2020年12月刊)より一部を抜粋・再編集したものです。

コロナウイルスの有無ではなく患者への理解が最重要

先日、ある雑誌の記者さんからこんな質問を受けました。

 

「陣痛が急に来た妊婦さんが病院に運ばれてきたとき、PCRはするんですか?」

 

その答えは、事前確率に関わります。

 

その妊婦さんが暮らしている地域に流行が起きていなくて、なおかつ彼女が過去にクラスターが発生した場所に行ったことがなく、発熱や咳といった症状が出ていないのなら、そもそも僕は検査をしません。新型コロナの可能性を疑わないわけです。

 

その妊婦さんには普通に入院してもらって、普通にお子さんを出産してもらいます。

 

その妊婦さんの暮らしている地域で流行が起きているとか、彼女がクラスターの発生した場所にいたとか、あるいはクラスターの中にいた人と濃厚接触があったのなら、新型コロナを疑います。徹底的に疑う。具体的には、その妊婦さんを隔離します。彼女と接するときは防護服をつけます。

 

もちろんPCRをしますが、結果が陰性だったとしても、場合によっては、隔離は続けます。検査陰性は、コロナ感染非存在証明ではないからです。

 

彼女はどういう妊婦さんなのか。どこで、どのような生活を送っているのか。それを抜きにして「妊婦さんにPCRは必要だ」とか「必要ではない」という議論をしても、まったく意味がありません。判断の根拠は患者さんに対する認識に求めるべきです。その判断がPCRの結果によってブレてはいけません。

 

(※画像はイメージです/PIXTA)
(※画像はイメージです/PIXTA)

 

「微生物学と感染症学は密接にリンクしている」

 

と、僕はよく学生たちに言います。微生物学とは、その名のとおり微生物(ウイルスや細菌など)を対象とする学問です。感染症学は患者を対象とする学問です。対象とするものが違うわけですが、この2つの学問を切り離してしまってはいけません。

 

感染症の原因は微生物ですから、感染症をよく知るためには、もちろん微生物をよく知る必要があります。

 

ただし、微生物だけを見てはいけません。患者さんを理解せず、微生物だけを扱ってもうまくいかないからです。

 

たとえ薬の評価であっても、試験管に薬をふり入れてそこにいる微生物が死んだかどうかを調べるだけでは、われわれ医者の目的は達成できません。患者さんがその薬を飲んだとき、治ったかどうかを指標にしなければいけない。そして、両者は必ずしも一緒ではありません。試験管に薬を入れて微生物が死んだからといって、その薬で患者さんの病気が治るとはかぎらないのです。患者さんと試験管はまったく違うものだからです。

 

実験室でPCRをやって新型コロナウイルスの遺伝子を捕まえることと、患者さんの鼻から検体を取ってPCRが陽性になることも同じではありません。両者を一緒にしてしまうと診断にも治療にも間違いが起こります。

 

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僕が「PCR」原理主義に反対する理由 幻想と欲望のコロナウイルス

僕が「PCR」原理主義に反対する理由 幻想と欲望のコロナウイルス

岩田 健太郎

集英社インターナショナル

なぜ、ノーベル賞科学者でさえも「コロナウイルス」が分からないのか? その理由は日本人独特の「検査至上主義」にあった! 人間の体は宇宙よりも謎に満ちていて、素粒子よりも捉えがたい。そのことを知らないで、「机上の…

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