「私から、この子を取り上げないでください」
1週間ほどで、缶を捨てに来る入居者が判明。住民の中ではいちばん高齢のおばあちゃん、石田眞知子さんでした。眞知子さんは、現在72歳。ずっと独身で、かれこれ40年以上ここに住んでくれています。しっかり定年まで働かれたので、年金で家賃も払える優良な入居者でもあります。
「困ったなあ。物件でいちばん滞納の可能性も低い眞知子さんだったんだ。でも当事者同士で話すとバツが悪いから、章子先生、話してみてよ」
妹尾さんに頼まれると断わる訳にもいかず、私は眞知子さんに会いに行くことにしました。年齢的なことを考えれば夕方ごろに訪問すると、在宅率が高いことは分かっていました。
眞知子さんは、突然の私の訪問に驚いた様子でしたが、部屋の中に招き入れてくれました。当の猫ちゃんは、遠くから私のことを眺めています。綺麗な大人しいキジ猫でした。
「保護猫なんです。大人しいし犬みたいに吠えないから、バレないと思って飼い出したんですけど。ちょうど今年に入ってすぐです。コロナが騒がれるようになったときも、この子がいてくれたので心強かったんです。最初はドライフードだけ与えていたので良かったのですが、少しずつもっと美味しいものを食べさせたくなって。やっぱり餌の缶から知られちゃったんですね。私は死ぬまでここに住みたいと思っているので、敷金積み増しでなんとか家主さんに掛け合っていただけないでしょうか」
眞知子さんは綺麗好きなのか、室内はとても整頓されています。このまま最期までお住まいになったとしても、物件もそれなりの築年数になるはず。その頃には取り壊しの話も出てくるでしょう。そうであれば眞知子さんの次の入居者のことを、それほど考えなくてもいいかもしれません。
猫の場合は、アレルギーを抱える人もいるので、次の入居者が限られてしまいますが、その問題もクリアしそうです。ただ一方で、眞知子さんに何かあった後、猫だけが残ってしまうという可能性もあります。そこはしっかり者の眞知子さん、よく考えていらっしゃいました。
「この子、11歳なんです。猫は20年近く生きるって聞いたから、私が看取れる子にしました。万が一の時は、譲ってくれた保護猫の団体が引き取ってくれるそうです。だから家主さんには、ご迷惑をおかけしません。どうか私から、この子を取り上げないでください」
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