自分の強みはなかなか気がつけないもの
運が強い人で、自分の不得意な分野、あるいは他の人と比べて、それほど目立たない強みで勝負している人は一人としていません。これは誰でもうなずけるかと思います。ですから、もしあなたが「運を強く」したいと望むのであれば、ぜひとも「自分の強み」を知り、そこで勝負しなくてはなりません。
こう言うと、「そんな強みと言えるほどのものはない……」「自分の強みと言っても、もっとすごい人はいっぱいいるし……」「私には何の才能もないし……」と、及び腰になる人が八割か九割でしょう。そんなふうに考えてしまうのは、ごく自然なことです。
なぜなら、そもそも自分の強みの発見はものすごく難しいもの。それは、自分にとってはあまりにも当たり前のことだから難しいのです。たとえば、生まれつき飛び抜けて走るのが速い人がいたとしましょう。
この人が自分自身で、「自分は人より飛び抜けて足が速いんだ」と気づくのは容易ではありません。まず、気づくのは身近な大人でしょう。親や幼稚園、小学校の先生が他の子と比べて、「この子はずいぶん走るのが速い」と気づきます。しかも、一回走る姿を見ただけでは、チラッとそう思うかもしれませんが、たいていそれで終わりです。
おそらく、飛び抜けて速く走る姿を幾度となく見たり、運動会のかけっこなど注目度の高い場面で見ることによって初めて、「ちょっと、どのくらい速いのか測ってみよう」となるわけです。もちろん、本人自らはそんなことをしません。周りの人が気づき、それに深い興味を持ち、何らかの行動を起こすことで、いよいよその子の「強み」として認識されるわけです。
このように「足が速い」という比較的わかりやすい強みであっても、自分にとっては普通のことですから、強みと認識するのは難しいのです。ましてや、目には見えない精神的な強み、たとえば
・忍耐強い
・社交的である
・素直である
・几帳面だ
となると、ますます発見しづらくなります。
さらに、そうした精神的・性格的な領域での強みは、特に若いときほど発見されにくいものです。なぜなら、まだ仕事や人生での発展途上にあるので、目に見える結果を出せている人のほうが稀だからです。ですから、その「強み」は、まだ可能性でしかありません。目に見えていない可能性に対して、自信を持ってこれが「強み」だとは、なかなか思えないのが当然でしょう。
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