頑張ってほしいと思ってかけた言葉が子供をダメにする
私は、彼の顔を見ながら、この子の親を想像しました。固定観念が強く厳しい父親と、その夫に追従しているが息子を溺愛している母親の姿です。
彼と世間話をしながら、徐々に彼の心をほぐすようにその生い立ちを話させると、やはり想像どおりの親でした。彼の頭の中では、父親からは厳しさだけを感じ、母親は優しいけれど、しつこさだけが残っているという状態でした。
結果論かもしれませんが、父親のいわば愛のない厳しさは冷血放任主義であり、母親の優しさとしつこさは溺愛過保護主義であって、どちらも子供の教育にはマイナスのものです。
具体的に言うと、父親は息子の成長過程を無視した発言を繰り返す人でした。
「お前みたいなやつは世間で通用しない」
親であるあなたも通用しない時期があったでしょう。なぜ現在の自分と比較するのですか?
「意志の弱いやつだ」
親であるあなたは最初から強かったのですか? いろいろな成長過程があったから、強くなったのではないでしょうか?
「お前の従弟のC君はA大学(必ず一流大学)に入ったぞ!」
比較して評価すること自体、完全な間違いで、言ってはならないことです。差別主義を植え付けるだけでなく、上には上があることも強調されるので、どこまでやっても劣等感を持つ大人に育つ可能性があるのです。
そうではなくて、「どこの大学がお前に合っているか、一度、お父さんと見に行こうか」くらいは父親として努力してもいいはずです。それが愛のある姿なのです。
根底に愛を感じてこそ真の厳しさとなるのです。間違ってもその時の気分で怒ってはいけません。怒れば、冷血放任主義のそしりを免れません。
父親も母親も、子供と正面から向き合っていない。本当につらいことです。でも、このようなことが何と多くあることでしょうか。
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