「必要なもの」と「奢侈」二項対立とは限らない
●今日の先進国では、安全で快適に生きるための物質的生活基盤の整備という課題をあらかた解決した上、これ以上の人口増大も期待できない「高原への軟着陸」へのフェーズに入りつつあり、必然的に「需要の飽和」が発生している。
●ビジネスが「問題の発見」と「問題の解決」で成り立っている以上、問題の多くが解決してしまった「需要飽和社会」では経済の停滞、利益率の低下が起き、それが先進国に共通して見られるGDPの低成長率、極端な低金利に表れている。
●これを避けるために「不必要な消費」を誘起すると、それは容易に「奢侈」に接続されてしまうが、そのような消費のあり方は「自然・環境・資源」の問題がより重要性を増している現在、倫理的に許されるものではなく、物理的にもサステナブルでない。
このように考えていくと、どうも「手詰まり」ではないかと思えてきますが、ここは非常に重要なポイントなので仔細にチェックしてみましょう。この論理のどこに突破口を見出せば、高原に豊かで瑞々しい社会を構想できるのでしょうか。
ていねいに思考をたぐり寄せていくことにしましょう。論理を脱構築しようとする際に攻撃すべき最脆弱ポイントは、暗黙の前提となっている「二項対立」です。この論理の場合は「消費のあり方」に関する二項対立の枠組みが、それに該当します。
本当に消費には「他者に関係なく必要なもの」と「他者に優越するために必要なもの」の2つ、すなわち「必要」と「奢侈」の2つしかないのでしょうか?
おそらく多くの読者は、「人間の欲求」を、竹を割るようにして2つに整理してしまうこの考え方に対して、「何か大事なことが溢れ落ちている」という違和感を覚えると思います。