社会民主主義へ大きく社会ビジョンをシフトすべき時
かつて社会に存在した数多くの問題を市場原理が「経済合理性」に基づいて解決した結果、現在の社会には「経済合理性限界曲線」の外側にある問題が残ることになりました。
このような問題に対処するためには経済合理性を超えるモチベーションが必要ですが、これらの問題が「経済合理性限界曲線」の外側にある以上、対処しようとする人や組織は必然的に大きな不確実性とリスクを背負うことになります。
このとき「衝動」に基づいてその問題に取り組んだものの、結局はうまくいかずに失敗してしまった、という人が次々と経済的に破綻してしまえば、そのような「衝動」に根ざした活動をする人は誰もいなくなってしまうでしょう。
経済合理性限界曲線の外側にある問題の解決を個人個人の「そうせずにはいられない」という「衝動」によって駆動しようとするのであれば、経済的に破綻してしまう心配のない社会的セキュリティネットが必要になります。
このようにつらつらと考えてみれば、1つの結論に到達せざるを得ません。それは、これからやってくる高原社会に残存する「希少かつ重大な問題」を解決していくために、これまで私たちが依拠していた新自由主義・市場万能主義から、より社会民主主義的な方向へと舵を切らざるを得ない、ということです。
社会に多数の物質的問題が残存していた時代にあって、市場原理は極めて効率的に、それらの問題を解消することに貢献しました。しかし現在、私たちの社会に残存する問題の多くは、もはや経済合理性だけに頼っていたのでは解決できないのです。
経済合理性のハードルを軽々と跳躍して飛び越えるような人材が、不当に不利益を被らないような社会基盤の整備がどうしても必要なのだということを考えたとき、私たちは、これまでのアメリカによって象徴的に示されていた新自由主義・市場万能主義の社会ビジョンから、北欧型のそれに近いような社会民主主義の方向へと、大きく社会ビジョンをシフトするべき時にきていると思います。