これまでの資本主義社会は「時間によって資本の価値が増殖する」ことを前提にしてきました。しかし、金利はゼロになり、「間を経れば成長する」という期待ももてなくなったことで、時間に価値がなくなってしまいました。そうなると、「より良い未来のために、いまを手段化する」という考え方も否定され、人類は大きな転換点に差し掛かります。そこでこれから向かうと言われる「才能主義」について山口周氏が解説します。※本連載は山口周著『ビジネスの未来』(プレジデント社)の一部を抜粋し、編集したものです。

「資本の価値」も「時間の価値」もゼロになった理由

世界経済フォーラムを創設したクラウス・シュワブ会長は、資本がもはや過剰になり増殖できなくなった以上、「資本は無限に増殖する」という信仰は維持できなくなったと言っています。

 

近代以来、ずっと続いた資本増殖の上昇曲線を知っている私たちにとって、このような指摘はにわかには受け入れがたいものに思われるでしょう。しかし、シュワブの指摘する「資本主義という信仰はもはや維持できない」という状況を端的に示す指標があります。それは、金利です。

 

すでに読者のみなさんもご存じの通り、コロナ以前の段階においてすでに、先進国の金利はほとんどゼロに近い水準にまで落ち込んでいました。金利が文明史に例のない低水準まで落ち込んでいるという事態は、いったい何を意味するのでしょう。利子の定義に立ち返って考えてみましょう。まずEncyclopaedia Britannica(=ブリタニカ国際大百科事典)で「Interest(=利子)」の項目を引くと次のようにあります。

 

The price paid for the use of credit or money.

信用または資本の価格として支払われるもの。

 

実にシンプルな定義ですね。利子とは「資本の価格」なのです。つまり利子が「ほぼゼロ」になりつつあるということは、「資本に価値がなくなった」ということを意味しているわけです。これが、シュワブのいう「資本の意味は薄れた」という指摘の真意です。

 

私たちの社会システムは「時間によって資本の価値が増殖する」ということを前提にして構築されているわけですが、近代以降、長らく常識として考えられてきたことが、もはや成立しなくなってきているということです。これはいったい、どういうことなのでしょうか?

 

(画像はイメージです/PIXTA)
(画像はイメージです/PIXTA)

 

重要なポイントは「時間」です。「将来における資本の価格が利子」になるということはつまり「利子」と「時間」というものが不可分の関係にあるということです。「時間」によって「利子」の存在が合理化されるということは、逆に言えば「利子=資本の価値」がゼロになったということは、つまり「時間の価値」もゼロになったということです。いや、これはロジックが逆転していますね。実際に起きていることはむしろその逆でしょう。

 

つまり「時間」に価値がなくなったから「金利」の価値も下がっていると考えるべきなのです。なぜ「時間」に価値がなくなったかというと、それは私たちの社会がすでに「高原」に達しており、時間を経ることで上昇・成長・拡大するという期待がもてなくなったからです。

 

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ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す

ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す

山口 周

プレジデント社

ビジネスはその歴史的使命をすでに終えているのではないか? 21世紀を生きる私たちの課せられた仕事は、過去のノスタルジーに引きずられて終了しつつある「経済成長」というゲームに不毛な延命・蘇生措置を施すことではない…

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