現代アートは自分と社会との関係を探していく羅針盤
〝何でもあり〟の現代アート
現代アートとは一体何なのか? それは、自分と社会との関係を探していく羅針盤のようなものです。そう考えると、現代アートは不確実性が増大する現代ときわめて親和性が高いといえます。
現代アートは、単に〝美しさ〟という定規では測れないものですが、だからといって美術のすべてを否定しているわけではないのです。むしろ、過去の歴史を物語として参照して、それによって個々の作品を成り立たせているところがあるのです。これまでの美術がなければ、逆に現代アートは成立しないといった側面を持っています。前の時代と断絶しながら奇妙に結びついているのが、現代アートです。
辞書で現代アートを調べてみると「現代の美術。多く、二〇世紀以降、または第二次大戦以降の美術をいう」(小学館/デジタル大辞泉)とありますが、実は明確な時期の定義があるわけではありません。
また言葉どおりにとれば、「現代のアート(コンテンポラリーアート)」ですが、現代に生きるアーティストの作品、すべてを「現代アート」と呼ぶわけではありません。
広く捉えれば、単なる時代区分として、今の時代のアートというように考えることもできますが、狭義の場合は、ある特別な傾向を持ったアートを現代アートと言っています。
では、日本画や油彩画、工芸などはどうなのかということになりますが、それは作品を制作する上での技法材料の区分であって、意味内容を規定する現代アートとは異なった観点の定義になります。日本画の技法材料を使った現代アートもありうるし、油彩画を使った現代アートも、また、漆や焼き物の現代アートも可能ですが、技法材料の定義だけでは現代アートにはならないのです。
では何が現代アートになるための要素なのか。それは考え方に軸足を置くということです。「美」を広く哲学的に捉えて、強いていうのであれば「現代社会の課題に対して、何らかの批評性を持ち、また、美術史の文脈の中で、なにがしかの美的な解釈を行い、社会に意味を提供し、新しい価値をつくり出すこと」といえるでしょうか。
何だか余計に難しくなったかもしれませんが、単に視覚的に〝きれい〟というだけでは成り立たず、むしろ〝美醜〟の基準を超えて、「人間について、視覚的な表現を中心にして、知性と感性を使って今の世界から捉える行為」といってもいいかもしれません。そしてそれはときに歴史的、哲学的、社会的な視点から解釈されるものともいえるのです。
同じ美術でも、美術愛好家が普段見慣れた印象派や古典絵画など、〝美しさ〟という観点で造形的に見ることができる作品とは根本的に異なり、感性を使いつつ、一方で頭の中で解釈を組み立てていくアートなのです。そして、〝考え〟を表明するためであれば、どんな表現メディアや形式を使用しても構わないというところが特徴です。絵画、彫刻、写真、ビデオ、映像、パフォーマンスなど、むしろ方法においては〝何でもあり〟というのが現代アートなのです。
秋元 雄史
東京藝術大学大学美術館長・教授
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