親としては早く自立して一人前になってほしい
Iさんはその年、名古屋大医学部を受けるも、あと数点というところで不合格。浪人時代はK塾に通ったり、家庭教師をつけたりしましたが、効果を感じず、ほとんどを独学で勉強しました。
高校時代に行なっていた通信教育は、わからない部分をFAXで送り解法を得るという部分が気に入っており、浪人中も続けていたそうです。ちなみに、この通信教育は年間30万円ほどで受けることができます。寮に入って予備校に通うと年間300万円ほどかかりますから、お金をかけずに受験勉強する方法のひとつではあります。
Iさんは1浪して再び名古屋大医学部を受験します。東大理科三類は、物理の土台がないことが不安につながり、回避を決めました。しかし、結果はまたもや不合格。幸い、別の国立大医学部の後期日程で合格を果たしました。
Iさんが選択した勉強法は非定型な勉強法だと思いますが、うまくやりきる人もいるかもしれません。もうすこし早く、自分の物理の学力を把握し、必要なレベルまで到達する時間がわかれば、結果は変わってきたのではないでしょうか。ただし、その時間も惜しんで英語、数学につぎ込むのがこの勉強法なので、両立はできませんが……。
特筆すべきは、この勉強法をIさん自身が選び、高校3年間、それを信じてやりきったことです。結果は思うようにいかなかったものの、医学部に合格するだけの学力はついたわけですし、一概に失敗とは言えないでしょう。同級生に冷たい目で見られても、くじけずに続ける精神力の強さを持った高校生がどれだけいるでしょうか。本人が選んだ方法で道を開いたことは意義深いと思います。
また、英語と数学が得意であることは医学生にとって強みです。英語の専門書を読む機会もありますし、国際学会では英語のスピーチが求められ、英語は避けて通れませんから。さらに、Iさんが入学した大学医学部は留年する人も多く、その多くは数学でひっかかることが原因だそうです。その面でも、ひとまず安心です。
親の心配
現在、Iさんは実家を離れてアパートで一人暮らしをしながら大学生活を送っていますが、自炊などに苦労しており、父親に「自宅から通学できる医学部を受け直したい」とも言っているそうです。
父親は、Iさんが医学部に入ったことは喜ばしく思いながらも、自立への道のりが長いこと、精神的、身体的に堅固さが要求される仕事であることが気にかかっているようです。もともとIさんには医師になりたいという強い意志があるわけでなく、人を救いたい、世の人のためになりたい、という思いも感じられないことから、モチベーションがどこまで続くのか不安だそうです。
「子どもが医学部に入ったからすべてが安心かというと、そうではありません。実際にやってみて合わないこともあるでしょうし、別の道を志すこともあるでしょう。親としては、早く自立して一人前の大人になってほしいのです。高校を出てすぐに就職して、結婚して、孫の顔を見る、というのもいいですよ。医学部だけがすべてじゃない、と思っています」(Iさんの父親)。
3人の子どもたちを育てるなかには苦労があり、親として何よりも子どもが健やかに成長してくれることが一番の願いであることを語ってくれました。
最近、Iさんから父親にかかってきた電話では、医学部の附属病院で家庭教師のボランティアを始めたとのことでした。附属病院には重度の障害や病気で入院を余儀なくされ、学校に行けない子どもたちが一定数入院しています。その子どもたちに勉強を教える息子の様子を目に浮かべながら、父親は「あいつがなあ」と驚きながらも、嬉しそうでした。
小林 公夫
作家 医事法学者