猫を介して母親とのコミュニケーションも
あの子が来なくなった
毎日来ていた猫が急に来なくなると、どうしたのかなと心配になる。実際に、近所の猫嫌いの人がまいた毒入りの餌を食べて、死んだ子もいる。ひどいことをすると怒りにふるえるが、猫が嫌いな人もいる。それが社会だ。
ある日わたしがひとりでいるときに、ひどい傷を顔に負った黒猫がサッシの前で「上がりたい」そぶりをしたときは泣けた。わたしはそのときにこの子に死が近づいていることを察知した。それ以来、その子は姿を現さなくなった。やっぱりあの日、お別れに来たんだ。ごめんね。何もしてあげられなくて。
チーちゃんは野良の世界で、尊敬されるお母さんのようだ。猫の命は短い。いつかチーちゃんも来なくなる日がくるだろう。つれ猫グレとて同じだ。
最近、グレがいい子になっているのが気になる。その日がそんなに遠くないことをわたしは感じる。
幸せになりたかったら猫を飼いなさい
階下で妖怪が大きな声で、小言を言っている。
「まあ、うちは、猫まで、きついんだから」ということは、娘はもっときついと言いたいのか。ハハハ。なんとでも言ってちょうだい。
猫がいると、猫を通して本音を言うことができるので、案外、わたしと妖怪はコミュニケーションをとっているのかもしれない。わたしたちは猫に救われている。
「しょうがないわよ。グレは親に捨てられた、かわいそうな子なんだから」とグレをかばうと、すかさず妖怪は、「まあ、あなたは猫には甘いんだから」と娘に容赦なくジャブを打つ。
「あんたも、相当、きついわよ」と押しかけてきた弱みのあるわたしは、遠慮して心の中で小さくジャブを返す。
父が生きているときは、楚々としたかわいいお母さんだったのに、ひとりになったとたんに、きつい人に変貌したのは、そうしていないとくじけそうになるからだろうか。