過去になりかけていた千栄子を必死で探す人物
しかし、世間はいつまでも他人の痴情にかかわっていられない。すぐに騒ぎは収束する。曾我廼家十吾から主導権を完全に奪った天外は、物語の筋を無視したアドリブ芸の、俄を完全に排除し、評価を高めるようになる。
千栄子に代わる看板女優も育ちはじめている。
一時の混乱から立ち直りつつある古巣の状況を見て、千栄子も、自分も早く再始動せねばならない。と、負けず嫌いの血が騒いで奮い立つ。
天外に対する意地もある。自分だけが、このまま消え去るわけにはいかなかった。
この年の暮れが迫る頃には、道頓堀界隈で千栄子の噂話を聞くこともなくなる。
彼女は過去の人になりかけていた。だが、捨てる神あれば拾う神あり。世間から忘れられようとしていた千栄子を、必死で捜す者がいた。
その人物とは、吉本興業に所属する人気芸人の花菱アチャコ。彼は千栄子の芸を認めて注目し、機会があれば共演したいと考えていた。
千栄子が松竹新喜劇を退団してしばらくたった頃、アチャコのもとにラジオ・ドラマへの出演依頼が舞い込む。企画内容を聞いて、これは自分と千栄子がやれば面白いドラマになるとひらめいた。
千栄子を共演相手に指名して、番組担当者に彼女を捜させる。
日中戦争の頃から始まったラジオ・ドラマは、戦後になると庶民の間ですっかり人気が定着した。NHK東京放送局では『鐘の鳴る丘』などのラジオ・ドラマが大人気になっている。大阪放送局でも、アチャコを起用して人気番組を作ろうと意気込んでいた。アチャコあっての新番組である。機嫌を損ねて降板されてはたまらない。そのためには、彼が共演を望んでいる千栄子を絶対に捜し出さねばならない。
彼女の姿が京都で見かけられたという噂は立っていた。
関西では誰もが顔を知っている有名な女優である。不倫離婚と失踪劇で、時の人となった時期もあった。そんな人物が見かけられればすぐに噂になる。SNSが普及した現在ならば、あっという間に詳しい情報が全国に広がっただろう。
しかし、口から口への噂だけでその伝播には限界があった。情報が少なすぎる。一向に消息はつかめない。
番組収録まであと1ヵ月もなく、そろそろタイムリミットと諦めかけていた頃。歩き疲れた足を休めようと、河原町の居酒屋に入った番組担当者は、
「この辺に浪花千栄子さんが住んでいるらしいのですが、なんか知りませんか?」
居酒屋の店主にも聞いてみた。
まさか知っているとは思っていない。世間話のついでといった感じ、ダメもとで聞いたものだったが、
「ああ、この近くに住んでます。さっきもそこの銭湯に行くとこを見ましたで」
店主が銭湯の方角を指差して言う。
千栄子がこの近所に住んでいるというのは、界隈では有名な話のようだ。ついに見つかった……。
青山 誠
作家
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