ラジオ・ドラマ『アチャコ青春手帖』で見せた対応力
古き良き時代の大阪弁に聞き惚れる
ぎりぎりのタイミングで、番組担当者はなんとか浪花千栄子と会うことができた。出演を求められた千栄子はこれを快諾する。
わずかな蓄えはすでになくなり、着物を質に入れたりしながら、なんとか食いつないでいるという状況だった。このままでは家賃が払えなくなる。
そろそろ仕事を探して、再起しなければならない。そう考えていた時でもあり、彼女にとっても、これは渡りに船の話だった。
ラジオ・ドラマはまったくの未経験だが、躊躇している場合ではない。やるしかなかった。
花菱アチャコは戦前に横山エンタツとコンビを組んで、しゃべくり漫才のスタイルを確立した芸人。コンビ解散後は舞台や映画などで活躍し、戦後になっても絶大な人気を誇っていた。
そんなアチャコが出演するとあって、ラジオ・ドラマ『アチャコ青春手帖』は放送前から注目される番組だった。千栄子は花菱アチャコの母親という役どころ。漫才ならば、その相方といったところだろうか。
昭和27年(1952)はラジオ・ドラマの当たり年だった。NHKの『君の名は』は、放送時間になると銭湯の女湯が空になるという、社会現象を巻き起こして空前の人気番組になっていた。
それと同じように、この年の1月から放送がはじまった『アチャコ青春手帖』の放送時間になると、大阪では誰もがラジオのスイッチをつけて聴き入った。放送開始から大きな反響があり、それは回を追うごとに勢いを増してくる。
千栄子の母親役も評判がいい。もともと漫才師であるアチャコはアドリブを多用するが、戦前の松竹家庭劇の時代から十吾のアドリブ芸に慣れている彼女は、躊躇することなくそれに対応する。
アチャコが千栄子を相手役として指名した理由も、この抜群の対応力にある。
また、大阪弁が話せることも、母親役としての条件のひとつだったが、千栄子の話す大阪弁は、アチャコや制作側が期待した以上のものだった。
彼女のイントネーションは、大阪に昔から住む者たちが聴いても「これが本物の大阪弁や」とうなるほどの域。柔らかく包み込むような語り口調もまた、母親という役柄にはぴったりだった。
息子のアチャコがハメを外した時だけは、
「あんた、ええかげんにしぃや!」
普段の優しい口調とは打って変わって、ぴしゃりと言い放つ。が、それもまたメリハリが利いて、いい味をだしている。
優しくも厳しい大阪のおかん。ラジオに聴き入る人々は、本物の母親に語りかけられているような錯覚を覚えてしまう。