松竹寮に引っ越してから天外の女癖がさらに…
「新喜劇といいながら、芝居の内容は古臭い」
そんな悪評も流れる。革新派の天外からすれば、プライドが傷つく。が、新喜劇には曾我廼家十吾や吾郎一座から加入した古い芸人が多く、自由に脚本を書くことができない。家庭劇の頃よりもさらに手足を縛られた状況でストレスがたまる。
千栄子は、夫の苦境を公私に亘って支えた。
新喜劇が旗揚げされた後、ふたりは疎開先を引き払って大阪に戻っている。浪花座の裏にあった松竹演劇部の分室の建物は、戦災で家を失った役者たちが住み着くようになり「松竹寮」とも呼ばれていた。
千栄子と天外の他にも、松竹寮には曾我廼家十吾夫婦をはじめ新喜劇のメンバーが多く住んでいた。千栄子はここでも世話焼きぶりを発揮する。
食糧難の時代だったが、人並み外れた嗅覚を発揮して食料や酒を調達してきては同居人たちにおすそ分けし、独身の若い芸人には温かい食事をふるまっていた。
夫と愛弟子に裏切られ……
新喜劇は結成から1年を過ぎても低空飛行が続き、松竹社内では解散させたほうがいいという声が強くなっていた。
しかし、会長の白井松次郎が、
「新喜劇は必ず成功する。成功すれば赤字はすぐに取り戻せる」
と、言って押し止めていた状況。
そうするうち、新喜劇の不人気に嫌気がさした者たちが、相次いで退団するようになる。
退団者の大半は、天外を快く思っていない古い役者たちだった。女形は全員が辞めた。新しい喜劇をめざす天外にとって、それはむしろ喜ばしいことだったのかもしれない。脚本にも冴えが見られるようになってくる。
新喜劇が面白くなってきた。道頓堀界隈の芝居通の間では、そんな評判も聞かれるようになった。
また、昭和25年(1950)6月には朝鮮戦争が起こり、軍需物資の補給基地となった日本各地の工場はフル稼働。人手不足から賃金は上昇し、生産力増強のため資本投資がさかんになってきた。
好景気の到来。景気に客入りが大きく左右される興行の世界は活況を呈し、評判の良くなった新喜劇の公演にも、連日大勢の客が押し寄せるようになる。
女形を排除したことで女優の出番は多くなった。千栄子は看板女優としてその存在感が際立つようになり、もはや大阪で彼女を知らぬ者はいない。
道頓堀界隈を歩いていると、
「あっ、浪花千栄子や!」
人々が振り返る。
30年前、同じこの通りを薄汚れた姿で走りまわっていた、あのコマネズミのような「おちょやん」が、いまは大女優。人々に注目されながら、上物の羽織をまとって闊歩している。
万感の思いがこみ上げてくる……。しかし、ハッピーエンドにはまだまだ遠い。彼女の人生はこの後も、波瀾と試練が続く。
道頓堀の松竹寮に引っ越してから、天外の女癖がまた激しくなってきた。脚本の執筆を口実に、家を出て大阪市中の旅館に泊まることが増える。そういった時は、よく浮気相手も同伴していた。
勘の良い千栄子は察していたが、何も言わず天外を送りだす。我慢する以外に、円満な夫婦関係を保つすべを知らなかった。
しかし、千栄子の態度はかえって天外の心を離れさせてしまったようである。
浮気に気がついているだろうに何も言わず、家事を完璧にこなして献身的に尽くしてくれる。それが重たくて、無言の圧力にも思えてくる。