大手企業さえ傾いた戦後…元個人商店が長寿企業に変わったワケ

1877年(明治10年)に創業した「鍋清」。元は鍋や釜の鋳造業の会社だったが、現在はベアリングの商社事業とアルミパーツの製造が主軸だ。今や創業140年超の超長寿企業だが、戦争、バブル崩壊、震災といたあらゆる困難を経験してきた。大手メーカーさえ傾いた第二次世界大戦後、個人商店だった鍋清は、どのようにして長寿企業へと至ったのか。5代目社長の筆者が当時の経営を語る。

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戦後、大手メーカーさえ日銭稼ぎでしのぐ状態

戦後の再起に向けてベアリング卸業を掲げた鍋清だったが、戦後間もない日本は仕事すらままならない状態で、ベアリングの需要はなかった。

 

「あのころは大手のメーカーも鍋や釜を作っていたんだ。うちにも鋳造の機械が残っていれば、それでしばらくしのげたかもしれないな」

 

当時の様子について、父はそう言っていた。全国的に物資がなく、大手企業ですら日銭稼ぎのようにして仕事を作り、売上を立てていた時代だった。父と叔父たちは、3、4人の社員とともに、かつての軍需工場から放出されるベアリングを買い付けていた。それを製粉機や脱穀機用として工場などに販売し、どうにか食いつないでいたという。

廃業寸前まで追い込んだのも、再起させたのも「戦争」

そんな状況の鍋清にとって助け舟となったのが、またもや戦争だった。1950(昭和25)年に始まった朝鮮戦争だ。ちょうど同じタイミングで、父たちは焼け落ちた鍋清商店があった不二見町に木造2階建てで30坪ほどの店舗を作っていた。すると、店を作ってすぐに軍需が盛り上がり、大口の注文が入るようになった。

 

朝鮮戦争は、金日成率いる北朝鮮軍が朝鮮半島統一を狙って38度線を越えたことによって勃発し、1952(昭和27)年まで3年間続いた。

 

この間、日本国内では在韓米軍や在日米軍などが3年間で10億ドルともいわれる大量の物資を買い付け、その需要で日本は戦後復興に向けた足掛かりを掴んだとされる。軍による買い付け額は、1955(昭和30)年までの間接的な需要も含めると36億ドルに上ったという。

 

鍋清も、そのような流れのなかにいた。東芝押切工場、富士電機三重工場、東亞合成、日本電装、刈谷工機(現豊田工機)、東洋レーヨンなどから注文を受けた。いずれも過去に取引がなかったようなとびきりの大手である。

 

経営が安定し、大手との取引を通じて鍋清の信用力も上がった。

 

(※写真はイメージです/PIXTA)
(※写真はイメージです/PIXTA)

 

「営業しなくても勝手に注文が入ってくる。勝手に売上が伸びる。そんな状況だったな」

 

父はのちにそう振り返った。

 

第一次世界大戦で特需にあやかり、第二次世界大戦ですべてを失い、そして再び、朝鮮戦争の特需を掴む。簡単にまとめるなら、戦争に振り回される半世紀だ。資本力がある大手でさえ生き残りに苦しんだなか、個人商店の鍋清が生き延びたのは奇跡といってもよい。

 

父個人についていえば、結核との死闘があり、妻と子との別れがあった。「強い人だ」とあらためて思う。逆境はひたすら耐える。向かい風が追い風に変わるのを察知したら、真っ先に乗る。今のような経済環境では、それはリスクある経営かもしれないが、政治も経済もあらゆるものが不安定だった1900年代前半は、おそらく風を読む経営が最善だったのだと思う。

 

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鍋清株式会社 代表取締役社長 

1956年1月1日、愛知県生まれ。1978年、大学卒業と同時にベアリング専門商社である鍋清が新たに設立した子会社の光清商事に入社。小径ベアリングの営業(主に新規開拓)に携わる。1983年、鍋清へ転籍。1985年ごろからMG(マネジメントゲーム)とマイツールの導入を進め、いち早く戦略思考とデータ分析手法を全社に浸透、定着させる。営業本部長等を経て、1999年に社長就任。2001年からアルミ製の安全カバー、安全柵の製作に取り組み、新たな事業の柱とする。2020年8月、新社屋が完成。

著者紹介

連載孤高の挑戦者たち~明治10年創業、ベアリング商社が大切にする経営の流儀

本連載は加藤清春氏の著書『孤高の挑戦者たち』(幻冬舎MC)より一部を抜粋・再編集したものです。

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