戦後、大手メーカーさえ日銭稼ぎでしのぐ状態
戦後の再起に向けてベアリング卸業を掲げた鍋清だったが、戦後間もない日本は仕事すらままならない状態で、ベアリングの需要はなかった。
「あのころは大手のメーカーも鍋や釜を作っていたんだ。うちにも鋳造の機械が残っていれば、それでしばらくしのげたかもしれないな」
当時の様子について、父はそう言っていた。全国的に物資がなく、大手企業ですら日銭稼ぎのようにして仕事を作り、売上を立てていた時代だった。父と叔父たちは、3、4人の社員とともに、かつての軍需工場から放出されるベアリングを買い付けていた。それを製粉機や脱穀機用として工場などに販売し、どうにか食いつないでいたという。
廃業寸前まで追い込んだのも、再起させたのも「戦争」
そんな状況の鍋清にとって助け舟となったのが、またもや戦争だった。1950(昭和25)年に始まった朝鮮戦争だ。ちょうど同じタイミングで、父たちは焼け落ちた鍋清商店があった不二見町に木造2階建てで30坪ほどの店舗を作っていた。すると、店を作ってすぐに軍需が盛り上がり、大口の注文が入るようになった。
朝鮮戦争は、金日成率いる北朝鮮軍が朝鮮半島統一を狙って38度線を越えたことによって勃発し、1952(昭和27)年まで3年間続いた。
この間、日本国内では在韓米軍や在日米軍などが3年間で10億ドルともいわれる大量の物資を買い付け、その需要で日本は戦後復興に向けた足掛かりを掴んだとされる。軍による買い付け額は、1955(昭和30)年までの間接的な需要も含めると36億ドルに上ったという。
鍋清も、そのような流れのなかにいた。東芝押切工場、富士電機三重工場、東亞合成、日本電装、刈谷工機(現豊田工機)、東洋レーヨンなどから注文を受けた。いずれも過去に取引がなかったようなとびきりの大手である。
経営が安定し、大手との取引を通じて鍋清の信用力も上がった。
「営業しなくても勝手に注文が入ってくる。勝手に売上が伸びる。そんな状況だったな」
父はのちにそう振り返った。
第一次世界大戦で特需にあやかり、第二次世界大戦ですべてを失い、そして再び、朝鮮戦争の特需を掴む。簡単にまとめるなら、戦争に振り回される半世紀だ。資本力がある大手でさえ生き残りに苦しんだなか、個人商店の鍋清が生き延びたのは奇跡といってもよい。
父個人についていえば、結核との死闘があり、妻と子との別れがあった。「強い人だ」とあらためて思う。逆境はひたすら耐える。向かい風が追い風に変わるのを察知したら、真っ先に乗る。今のような経済環境では、それはリスクある経営かもしれないが、政治も経済もあらゆるものが不安定だった1900年代前半は、おそらく風を読む経営が最善だったのだと思う。
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