case2:「在宅死」で、警察と主治医がひと悶着
こうしたたび重なる救急車要請によって、医療現場が混乱に陥るケースは少なくありません。私自身も救急車を呼ばれて困った経験は何度もありますが、一つ最近の例を挙げるとすれば、Fさんのケースがあります。
60代の男性Fさんは当時、在宅療養を始めて1年が過ぎた頃でした。
当初、Fさんと奥さんは夫婦でともにがん闘病をされており、病院でつらい治療を受けるより、家で好きなお酒を飲んだり、自然に過ごして亡くなりたいという希望で、在宅療養をスタートしました。半年前には奥さんを在宅で見送り、その後は夫婦で住んでいたマンションで、Fさんは一人暮らしを続けていました。
一人になってからのFさんはしばらく当院の外来に通っていましたが、次第に体調が悪化。だんだん立つのも辛い状態になり、在宅医療に切り替えたばかりでした。
そして定期訪問診療を予定していた水曜日。
私は約束の時間に看護師を伴ってFさん宅を訪問。玄関でインターホンを押しましたが、しばらく待っても応答がありません。私は内心「嫌な予感がするな」と思いながら、マンションの管理人に連絡。すると管理人は居住者の鍵は持たない決まりで、親族を呼ばなければならないと話し、近くに住んでいるFさんの妹に電話をしました。
少しして駆けつけてきた妹さんに鍵を開けてもらい、私たちが中へ入ると、風呂場の浴槽の中で水に沈んだ状態のFさんを発見しました。
Fさんの気の毒な姿に一瞬息をのみましたが、そこで嘆いている時間はありません。まずFさんを浴槽から運び出さなければならないため、急いで浴槽の水を抜き、私と看護師、妹さんの三人で重いご遺体を持ち出せるかどうか…と思案していると、ふと振り向くと救急隊員が立っています。
私が驚いて「なんで救急隊がいるの?」と思わず聞くと、救急隊員の後ろにいたマンションの管理人が「私が呼びました」と震える声を振り絞っています。がっしりした体格の救急隊員がその場にいるので、とりあえずFさんを運び出すのを手伝ってもらいましたが、問題はそのあとです。
救急隊員は心肺停止を確認して、すぐに警察に連絡。救急隊と入れ替わりで到着した警察官が検視を始めようとします。私が「この人はがん終末期の患者さんであり、入浴中にがん組織から出血したのが死因。主治医がここにいて病死と言っているのだから、検視は不要」と強く反論しましたが、警察官も「私たちも任務ですから」と言ってなかなか譲りません。
しばらく私と警察ですったもんだをしたあとに、私が死亡確認をしたという一筆を書いて持たせることで、ようやく警察官は帰っていきました。
警察が引き上げてから、私はマンションの管理人に対して「医師がいるのになんで救急車を呼ぶんですか」と聞いたら、管理人は「居住者に何かあったときは、救急車を呼ぶのがマニュアルなので…」と繰り返すばかりでした。