最初は「鍋」から…創業140年超・長寿企業の幕開け
「ベアリングとアルミの会社なのに、なんで社名に『鍋』が付くのですか?」
よく聞かれる質問である。当社の事業はベアリングの商社事業とアルミパーツの製造が主軸である。
しかし、事業の原点は鍋や釜の鋳造業だった。社名の「鍋」はそこから付けたものだ。「鍋清」の「清」は、創業社長である加藤清兵衛の名前から取っている。
1877年、清兵衛は三重県富田町(現在の四日市市)に「鍋清商店」を作った。元号でいうと明治10年で、2月から9月まで西郷隆盛らによる西南戦争が続いた年だ。要するに、歴史の教科書で学ぶような激動のなかで我々の会社は誕生したのだ。
私は戦後生まれであるため、それ以前の会社の歩みは、祖父、父、そして父とともに鍋清の経営を支えてきた叔父たちから聞いた話でしか知らない。
祖父は三代目社長の清太郎、父は四代目の光男、叔父は二人いて、父の弟の清吾と清作である。ちなみに、清太郎の父は二代目の清一で、私の曽祖父に当たる。父から事業を引き継いだ私は五代目の社長だ。
初代から五代目の私の代に承継されてきた間に、元号は、明治、大正、昭和、平成、令和と変わった。鍋清も商材が鍋からベアリングやアルミ製品へ、業種は製造業から商社型の事業モデルへと大きく変わった。
五代にわたる事業承継の歩みは、鍋清が生き延びるために取り組んできた変革の足跡だったといってよいと思う。
「新技術」に商機を見出した明治時代のベンチャー企業
そもそもなぜ鍋だったのか。初代である清兵衛が鍋を手掛けたのは、創業の地である富田の北に桑名という町があり、そこが鋳物(いもの)で有名な町だったからだそうだ。私が知る鍋清は、すでにベアリングが事業の主軸となっていて、鋳物は手掛けていなかった。
そのため、私は鋳物の仕事には詳しくないのだが、ざっくりというと、鋳型と呼ばれる型の中に溶かした金属を流し込み、冷やして製品を作るのが鋳造、そうして出来上がるのが鋳物である。
鋳造は今も大きな業界で、自動車などの部品に使うアルミのパーツなどは鋳造で作っている。鋳型と溶かした金属があればあらゆる形のものを作れるため、家電の部品やゴルフクラブのヘッドなど、とても汎用性が高い工法だ。
社歴を振り返るついでに調べてみたら、日本では古くから鋳物技術を使っており、1世紀頃には銅の鏡や剣を、奈良時代には仏像などを作っていたという。
桑名は徳川四天王の一人と呼ばれた本多忠勝が藩主となり、江戸時代から鉄砲の製造を始めていた。その流れで、灯ろう、梵鐘、農具、鍋なども作られるようになった。
明治時代になると、川砂に粘土を混ぜて造型する「真土(まね)法」から、天然の砂を使って造型する「生型(なまがた)法」が普及する。
生型法は薄肉の小物製品を低コストで大量生産できる新しい技術だった。桑名の隣の村である小向(現在の朝日町)の砂が生型法に非常に適していたため、周辺に中小の鋳物工場が多く誕生し、桑名の地場産業として発展していくことになったのだ。
鍋清は鍋作りをしていたが、近隣の工場ではストーブやガス器具用の部品や、形状が複雑な製麺機、氷削機、ミシンなど機械鋳物を造っていた。
戦後の高度経済成長期には工業製品や建設材料などの製造も盛んになり、一時は200を超える鋳物工場がフル稼働していたという。
「東の川口、西の桑名と呼ばれていたほどだ」
そう教えてくれたのは祖父だったと思う。川口は埼玉県川口市のことで、今も鋳造が盛んだ。それに匹敵するのが桑名だという意味である。このような環境のなかで、清兵衛は鍋清を創業する。
生型法という新技術の登場に商機を見いだした創業は、今でいうところのテックベンチャーのようなスタートである。
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