鍋作りから一転…「最初の危機」を乗り切った決断
鍋清の鍋作りは、二代目である清一の代までは順調だった。
しかし、どの時代もベンチャーは苦労する。江戸時代から続く老舗の鋳造業者との競争は厳しく、事業はなかなか上向かず、むしろ低迷していった。そして、三代目の清太郎が社長となってから間もなくして、一家は富田から名古屋市内の不二見町(現上前津二丁目)に移る。1917(大正6)年、世界が第一次世界大戦で荒れている最中のことだ。
「移るというか、逃げる、だな」
父がかつてそう言っていた。
「鍋作りでは食えなくなり、夜逃げ同然で名古屋に移ったと聞いている」
「へえ。名古屋で何をやっていたの?」
私がそう聞くと、父は書斎から古い資料を持ってきた。1980年代前半に発刊されたらしいガリ版刷りの社内報だった。
「この社内報は創刊号で、寄稿している山内さんによると、鍋や釜は早々に諦めて、機械部品を扱っていたようだな」
父がそう言い、該当のページを開いた。
山内さんは、当時の取締役業務部長だった山内信夫さんのことだった。「星霜」と題した記事は、山内氏が入社した1938年前後のことを振り返るもので、当時の鍋清を山内さんは「工場用品のデパート」と表現していた。その理由は、電動工具、切削工具、作業工具、機械工具など工場用品を中心に扱っていたためだ。
ここから読み取れるのは、すでに鍋作りというものづくりの業種を離れ、仕入れと小売りという商社に近い業種に変わりつつあったということだ。
製造業としての姿は、名古屋に移ったときにおそらく捨てたのだろう。取り扱い商品についても、鍋や釜など生活密着型のものではなく、工場用品に変わった。
「リスクを取って工場用品に参入」…興廃の分かれ目
「工場用品って、そんなに簡単に参入できるものなのだろうか」
記事を読みつつ、父に聞く。
「いいや、難しいだろう。鍋と工場設備の部品とでは、鉄製ということくらいしか共通点がないからな」
資料がないので想像するしかないが、おそらく相当な覚悟をもったうえでの経営判断だったはずだ。
商圏を名古屋に移しただけでなく、取り扱い商品も業種もガラリと変える。それはほとんど第二創業といってもよいような大きな事業転換である。「緩急つけた経営」や「臨機応変な対応」などというと簡単そうに聞こえるが、事業の勘所が求められる難しい経営判断だ。新しいことを求め、挑戦をいとわない社風は、すでに三代目のときには出来上がっていたのだろうと思った。
記事によるとボーリングマシンや自動車部品なども扱っていたらしい。
当時の自動車や船舶のエンジンは使い捨てではなく、シリンダーをボーリングして再生し、何度も繰り返し使用していた。そのため、ボーリングマシンのほか、マシン用の部品、マグネットなどの引き合いがかなりあったようだ。
自動車部品に関しては、ドイツのロバートボッシュ社製造のヘッドライト、マグネット、ダイナモなども扱っていた。これらは名古屋市天白区にある水野鉄工所に納入して、水野式オート三輪車に使われていた。
水野式オート三輪車は、マツダやダイハツ製がほとんどを占めていた自動三輪車のなかで、前輪駆動という画期的な駆動方式を採用したものだった。車体の形も独特で、地域ではよく見掛けるオート三輪車だったようだ。
海外企業との取引では、名古屋に3台しかないBMWの二輪車が、かつての鍋清にはあったと山内さんは書いている。
「大正時代にBMWかあ。なんか想像付かないな」
私はそう呟いた。
「そうだな。山内さんはそのように書いているが、私も実物は見たことがない。当時の社屋は問屋によくある木造二階建てだったから、そこに海外のバイクというのも似合わない」
父もそう言って笑う。
「でも、きっとオート三輪やオートバイの分野に新たな事業のチャンスがあると考えたのだろうね」
「そうかもしれないな。鍋では食えない。別のことをやる。工業用品が良さそうだから、そっちに事業の軸足を移す。そういう軽い身のこなしがあって、会社の最初の危機を乗り越えたのだろう」
父の言うとおりだと思った。もし鍋に固執していたら、もし富田で事業を続けていたら、その後の鍋清の発展はなかっただろう。
市場の環境や取引先の需要、自社の経営資源などを総合的に見たうえで、工場用品こそが会社として力を注ぐ領域だと確信した。その判断に自信があったから、鍋の市場をすっぱりと諦め、リスクを取って工場用品の分野へ突入したのだろうと思った。
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