怒りにまかせて筆を執り、辞表を叩きつけた
正義感だけではない。必死に働いても評価されることなく、ひどい仕打ちをうけた記憶がよみがえる。わき起こる怒りがどうしても収まらず、行動を起こした。
「なんで、あの人がクビにならんとあかんのですか?」
と、撮影所長に直談判をはじめてしまう。
所長は親会社である大阪・千代生命から出向してきた人物だった。
事業所のトップに、20歳になったばかりの小娘が直談判してくるなどということは、普通の会社ではありえない。かなり面食らったはずだ。それでも彼は大人の対応をみせる。
会社の営利を考えての判断であることを丁寧に説明したうえで、
「他人のことよりも、あなたは自分の芸を磨くことを考えたほうがいい」
そう言って諭す。
話をはぐらかしたともとれるが、また、そこには有望な新人女優に対する会社側の期待が感じられる。リストラは他人事なだけに、ここで刀を鞘に納めるべきだった。
しかし、怒りの炎は収まるどころかさらに燃え盛る。
「何か言いくるめられたような不潔な感じで、会社そのものが、たまらなくいとわしくなってしまいました。移り気な子供のころ、あの、だれもが腰の落ちつかない道頓堀の仕出し料理屋で、七年も八年もしんぼうした私が、もうその場にいるのさえ御免という気持ちでした」
撮影所長に直談判した直後の心情が、『水のように』のなかで語られている。
かえって会社への不信感が増幅し、火に油を注ぐ結果になってしまったようだ。
下宿に戻ると、怒りにまかせて筆を執り、辞表を書く。翌日には再び所長室に行って、それを提出してしまった。
「早まったことはするな」
遺留されたが、もはや聞く耳持たず。常軌を逸していた……と、後々になってからは、そう思うこともあった。
だが、この時の判断を後悔してはいない。嫌なことには我慢しない、やりたくないことはやらない。その生き方を押し通すと決めたのだ。結果として被る不利益や損失も、自分が自分として生きるための必要経費と覚悟していた。
怒りにまかせて東亜キネマを退職してしまったが、次の仕事のあてはない。先々のことを考えれば不安になる。