生まれてはじめて月賦払いで着物を購入
カフェーや劇団では、仕事仲間と同室でお互い気を遣いながら暮らしてきた。しかし、この時代の庶民の女性にとって、それは普通のことである。地方から出てきた若者は、寮や下宿で数人が相部屋することが多かった。むしろ、個室で暮らすのは贅沢といった感じがある。
しかし、いまのキクノにはその贅沢を楽しむ経済力があった。鏡台やちゃぶ台など少しずつ生活道具を買い足し、部屋の雰囲気が自分の色に染まってゆく。ひとり暮らしが楽しくなってきた。
生活を楽しむ。それは、これまでの人生で味わったことのない感覚だ。
東亜キネマは女優としてのキクノに、かなり期待していたようである。「香住千栄子」という芸名を与えられ、『帰って来た英雄』の出演がすぐに決まった。
戦前の映画界を代表する脚本家・山上伊太郎のデビュー作であり、主演はアクロバティックな殺陣で「鳥人」と異名され当時は人気絶頂の高木新平。会社としても力を入れた長編作品だった。
キクノはこの映画で、高木の相手役という重要な役に抜擢されている。
大正後期頃から「純映画劇運動」が起こり、撮影技法や演出に「映画ならでは」といったところを意識した工夫がされるようになる。
それ以前の劇映画は、カメラを固定したまま、俳優は常にフルショットで撮影されていた。舞台がスクリーンになっただけで、何も変わらない。演出や役者の演技も、歌舞伎や新派演劇のやり方が踏襲されていた。
しかし、撮影技法の進化により、演技や演出も変貌してゆく。歌舞伎や新派演劇の踏襲から、映画独特のものに変化をとげようとしている過渡期だった。
それまでの演技は、歌舞伎から派生した、型にはまった動きをしていればよかったが、新時代の映画俳優には、舞台とは違う新しいものが求められる。
ベテラン俳優たちも、まだ試行錯誤の段階。それだけに新人に対してのアドバンテージは無きに等しい。むしろ、古い時代に染まっていない無垢な新人のほうが、演技指導もやりやすく、監督には好まれたりもする。
また、女形から女優への転換や、作品はスターを見せるためにあるという考えも純映画劇運動で提唱され、しだいに映画界に浸透したものだった。
スターの人気は、映画の興行収入に直結する。そのため各映画会社では、その育成に熱心になり、スターとして採用された者は、脇役の大部屋俳優と区別され、給与面で優遇されるなど、特別待遇が与えられた。
当たり役を得て人気が出れば地位は安泰、給料はさらに上がる。
キクノはさらなる高みをめざして、与えられた役を必死で演じた。
『帰って来た英雄』は大正15年(1926)3月に公開され、興行成績は上々だった。新人にしては度胸があり、勘の良いキクノは「将来有望」と評価され、次回作の出演もすぐに決まる。
「なんとか女優として、やっていけそうやぁ」
無事に銀幕デビューを飾ったことで、少し自信が芽生えてくる。
女優を続けることができれば、安定した収入が得られるはずだ。その安心感から、生まれてはじめて月賦払いで着物を買うことにした。
撮影所に出入りしている呉服屋に注文して、反物から自分で選び、あれこれと要望を伝えて自分の好みの一着に仕立ててもらう。
人から与えられるものだけを着て生きてきた彼女には、これも人生初の体験。少し以前までは、考えられない贅沢である。できあがってきた着物を着て、鏡の前に立つ。自分が好む色に染まったその姿を見て、思わず涙がこみあげてきた。
青山 誠
作家
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