女給の仕事になじめなかったキクノ
女優家業、最初の仕事は元気な少年の役
さらに1ヵ月が過ぎると、キクノは仕事にもだいぶ慣れてきた。
酒場に来る客はふだん語ることのない本音を吐き、本来の自分をさらす。
仕事に慣れて余裕のでてきたキクノは、客たちをじっくり観察するようになった。すると、人物の地位や人柄、その時々の感情さえも、所作や言葉遣いや服装に表れていることが分かる。
仕事仲間の女給たちにしても、着物の着こなしや動きに、性格がよく表れていた。怠惰で金遣いの荒い女は、着こなしもどこかだらしない。その逆で、生真面目に自分を律している女の着物姿には、凜とした美しさがある。
同じ着物を着ても、所作や着こなし方で人の印象はかなり違って見える。演じる者にとっては貴重な発見だろう。日々、それを観察しながら学んだ。
もっとも、この時のキクノには、自分が学んでいるという自覚はない。
女給の仕事に慣れてゆくほどに、カフェーは嫌な場所になりつつあった。ここは自分の居場所ではない。そんな思いが強くなっていた。
自伝『水のように』では、
「好きでもない人にお世辞を言ってお酒をついだり、心にもないことを言って人をだましたり、(中略)金のある人とみると、徹底的に食いさがるというようなことを極度にきらう潔癖症が自分にあるということの発見」
と、女給の仕事になじめなかった理由が語られている。
感情を包み隠さないケンカ腰の河内弁で、ざっくばらんに本音を語ることを好む土地柄。額に汗して働くことを美徳とする、生真面目な農民の価値観。キクノの気質を形作ってきたものが、それとはまったく相反する異世界を拒絶する。
彼女の継母もまた、酔客を相手にする飲み屋で働く女だった。主婦としての仕事を放棄して、自分が楽をすることだけ考える怠け者。そのために父親に媚を売って操り、邪魔な自分を家から追い出した。キクノにはそう映っていたようである。
「水商売の女」に父を奪われた、と。この仕事に嫌悪感を覚えてしまうのは、継母に対する思いが多分に影響しているようでもある。
「女給の仕事も、もう限界やなぁ」
長居する場所ではない。他の仕事が見つかれば、すぐにでも辞めたい。仕事に慣れるほどに、その思いは強くなる。
自分の意思で行動するようになる以前には、どんな辛い目にあっても転職など考えもしなかった。仕出し料理店の冷酷な主人から、虐待に近い仕打ちを受けながらも、辞めようと思ったことはない。耐え忍ぶ。そんな生き方しか知らなかった。