「親が認知症で要介護」という境遇の人は今後、確実に増加していくでしょう。そして、介護には大変、悲惨、重労働といった側面があることも事実です。しかし、介護は決して辛いだけのものではなく、自分の捉え方次第で面白くもできるという。「見つめて」「ひらめき」「楽しむ」介護の実践記録をお届けします。本連載は黒川玲子著『認知星人じーじ「楽しむ介護」実践日誌』(海竜社)から一部を抜粋、編集した原稿です。

父親が作ってくれたインスタントの塩ラーメン

じーじは満州とペニシリンが好き

 

認知星人じーじは、満州生まれ。

 

新京工業大学(現在の中華人民共和国吉林省長春市)在学中に終戦となり引き揚げてきたらしい。なぜ「らしい」かというと、認知星人になる前の父は、引揚時のことをあまり話さなかったからである。しかし、父がNHKから頼まれて(本人曰く)執筆している自分史によると(以下原文のまま)。

 

父が作ってくれたインスタントの塩ラーメンがめちゃくちゃ美味しかったという。(※写真はイメージです/PIXTA)
父が作ってくれたインスタントの塩ラーメンがめちゃくちゃ美味しかったという。(※写真はイメージです/PIXTA)

 

「近くの白系露人から私の工場で(露軍が接収した工場)手伝ってほしいと頼まれ、その工場に連れていかれ、露軍カーペーの指示により、ソ連労働者として腕に赤い腕章を巻き大連埠頭まで車両を誘導する。

 

21年12月大連から引揚が始まり露軍から感謝の礼か家族と共に特別許可がおり、難民と一緒に佐世保諫早に上陸、米軍の調査を受け、父母の郷里山口長門市に引揚げる」

 

ということらしい。

 

その後、東京に出てきた父は、洗濯物を干している姿の母に恋をして(どうやらナンパしたらしい)結婚し、私がこの世に生を享けた。

 

父は、頭が痛くなると「ペニシリンを飲む」、怪我をすると「ペニシリンを塗る」というほど、ペニシリンが大好きで万能薬だと思っている。どうやら満州時代に満州中央試験所にいた時と、引揚後、衛生研究所という所に勤めていた時代にペニシリンと関わっていたらしい。

 

今聞いても、話が二転三転どころかまったく違う方向に進んでしまうので真相は謎だ。

 

私は、小さい頃の父との思い出はあまりない。ちょうど高度成長期だったこともあるかもしれないが、朝は私が起きる前に出勤し、夜は私が寝てから帰ってきて、土日もほとんど家にはいなかったように記憶している。印象深い思い出といえば、母と弟がいない日に、父が作ってくれたインスタントの塩ラーメンがめちゃくちゃ美味しかったこと。今でも一番好きなインスタントラーメンは、父が作ってくれたメーカーの塩ラーメンだ。

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認知星人じーじ「楽しむ介護」実践日誌

認知星人じーじ「楽しむ介護」実践日誌

黒川 玲子

海竜社

わけのわからない行動や言葉を発する前に必ず、じーっと一点を見据えていることを発見! その姿は、どこか遠い星と交信しているように見えた。その日以来私は、認知症の周辺症状が現れた時のじーじを 「認知症のスイッチが入っ…

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