NHK連続小説『おちょやん』で杉咲花さん演じる主人公、浪花千栄子はどんな人物だったのか。幼いうちから奉公に出され、辛酸をなめながらも、絶望することなく忍耐の生活を送る。やがて彼女は銀幕のヒロインとなり、演劇界でも舞台のスポットライトを浴びる存在となる。この連載を読めば朝ドラ『おちょやん』が10倍楽しくなること間違いなし。本連載は青山誠著『浪花千栄子 昭和日本を笑顔にしたナニワのおかあちゃん大女優』(角川文庫)から一部抜粋し、再編集したものです。

15円の退職金が8年間分の報酬だった

大阪の商家はどこも倹約に熱心で、使用人に与える衣食には極力お金を使わない。

 

しかし、彼女の主人はそれが度を越していた。そのため雇い人が長続きせず、みんな1〜2年で辞めてしまう。

 

8年も勤めているキクノは稀な存在。店のことを一番良く知るベテラン従業員である。年は若いが、頼りになる存在だ。そんな彼女に、この主人はいまだ1銭の給金も与えていなかった。

 

仕事を覚えるまでの修業期間はタダ働きというのは、この時代さほど珍しくはない。職人の弟子も多くがそうだった。が、これだけ長い間、無給でこき使うというのは異常だ。

 

キクノには、女中の仕事であれば普通以上にやれる自信がある。また、漢字の読み書きもできるようになった。人並みの扱いを受けてもいいはずだ。

 

待遇を理不尽と感じて怒るのは、自らの能力に対する自信の現れでもある。この主人のもとでは、いつまでたっても状況は改善されそうにない。

 

「そろそろ見切りをつけねば……」

 

そう考えていたタイミングで、音信不通だった父親が、突然、彼女の前に姿を現す。8年ぶりの親子の再会だった。

 

これまでの経緯から、まずは娘に詫びるべきだと思うのだが、

 

「そろそろ貯金もできとるんやろ?」

 

と、いきなりお金を無心してくる。薄情にくわえて恥知らず。いまどきの感覚ならば最低最悪の親だと思う。しかし、実の娘を売春宿に売り飛ばす親も少なくない。そこまでやらないだけでもマシな部類なのか?

 

子は親に逆らってはならない。どんな理不尽も受け入れる。そんな常識がまかり通る時代だった。

 

キクノもまたその常識に縛られている。貯金があれば、求められるままに差し出したかもしれない。幸か不幸か、無給の彼女は1銭のお金も持っていなかった。当てが外れた父親は、奉公を辞めて家に帰って来いと言う。そして、退職金を求めて店の主人と談判をはじめてしまった。

 

「8年間も無給でこき使って、1銭の金も出さないのは、ひどいやおまへんか?」
「使い物にならん子どもを預かって、一人前の仲居になれるよう教育してやったんや。飯食わせてもらっただけでも感謝せなあかんで」

 

薄情で金に汚いことでは、どちらも相当なもの。キクノを不幸のどん底に陥れていた張本人の2人である。この時の聞くに堪えない醜い舌戦もまた、生涯耳にこびりついて離れない、嫌な思い出になっている。

 

結局、最後は主人のほうが根負けして15円の退職金が支払われた。女学校出の事務員やタイピストの女性なら、月給の半分にも満たない額。それが彼女の8年間分の労働に仕払われた報酬だった。まだまだ、普通の人として扱われていない。それを思い知らされる。

 

キクノの退職金を懐に入れた父親は、彼女を連れて列車に乗った。大正12年(1923)4月に天王寺までの路線が開通し、この頃になると大阪市内から富田林まで直通列車が運行するようになっている。

 

故郷が近くなってくると、車窓に金剛山地の山並みが間近に迫って見える。懐かしい風景はまったく変わっていなかった……。

 

彼女の風体もまた、代り映えがしない。9歳の頃と同じで化粧っ気はなく、すり切れたボロ着に身を包んでいる。衣類などまとめた荷物は、小脇に持つ小さな風呂敷に余裕で収まっていた。

 

青山 誠
作家

 

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浪花千栄子 昭和日本を笑顔にしたナニワのおかあちゃん大女優

浪花千栄子 昭和日本を笑顔にしたナニワのおかあちゃん大女優

青山 誠

角川文庫

幼いうちから奉公に出され、辛酸をなめながらも、けして絶望することなく忍耐の生活をおくった少女“南口キクノ”。やがて彼女は銀幕のヒロインとなり、演劇界でも舞台のスポットライトを一身に浴びる存在となる。松竹新喜劇の…

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