道頓堀の通りには漢字を学ぶための教材が
当時の新聞は漢字にすべて読み仮名がふられていた。読み捨てられた新聞を拾って便所に駆け込み、必死でそれを見て漢字を覚える。
寝る間もなくこき使われ続ける彼女が、労働から解放され自由になる時間といえば、生理現象で便所に入っている時だけ。時々、「長い便所やなぁ」なとど、主人や職場の先輩に文句を言われるが、気にせず勉強を続けた。
ここで諦めては、また光の届かない暗闇に落ちることになる。
料理の重箱を抱えて走りまわる道頓堀の通りにも、漢字を学ぶための教材があふれていた。
劇場前の看板、頭上にぶら下がるタコ吊の広告には、難しい漢字で書かれた歌舞伎役者の名が並んでいる。この界隈で暮らしていれば、役者たちの名前は自然と耳で覚えてしまう。知っている漢字がいくつかあれば、
「中村と治郎……中村鴈治郎さんのこと? それなら、真んなかの難しい文字、〈鴈〉というのは〈がん〉って読むんやろなぁ」
そんな具合に覚えてゆく。
自分であれこれと考え見つけだした答えは、教師の言うことを鵜吞みにして覚えるよりも身につきやすい。忘れることはない。
また、彼女は人並み外れて記憶力が良かった。一度教えたことをうっかり忘れると、主人や先輩の大人たちから情け容赦ない𠮟責を受け、時にはゲンコツが飛んでくることもある。そんな過酷な日々で能力が鍛えられたのかもしれない。
人並み外れた記憶力は、他にも様々なところで発揮される。
仕出し料理店には役者や劇場関係者からも注文があり、キクノも重箱の配達や回収で劇場の楽屋に出向くことが多かった。
楽屋裏から舞台をのぞき観ることは、彼女の数少ない楽しみのひとつ。役者たちのセリフはすべて暗記し、役者がセリフを間違えるとすぐ気がついた。
口調や動きをひと目見れば、昨日との細かい違いも分かる。今日の舞台はひと工夫くわえているとか、手を抜いているとか彼女なりに分析する。
道頓堀に建ちならぶ劇場は、この後を生きるのに必要な、最も重要なことを教えてくれた。この時はまだ、キクノは気がついていなかったのだが。
8年間の重労働、その報酬はたったの15円
仕出し料理店で働くようになってから8年の歳月が流れた。
キクノも17歳、年頃の娘になっていた。
道頓堀界隈では、お洒落に着飾った貴婦人や艶やかな化粧をした芸者衆をよく目にする。弁当の配達の途中、商家のガラス戸に映った自分の姿と見比べてみれば……。適当にまとめあげた髪を粗末な紐できつく結び、何年も着古した地味な着物はあちこちに継ぎ当てが目立つ。
大阪一番の繁華街で暮らすようになった今も、南河内の農村で暮らしていた頃の風体と変わらない。
近隣の同業者に雇われている女中たちは、年頃になると床屋できれいに髪を結い、着物を新調してもらったりしている。自分もそれくらいのことは、してもらっていいはず。主人に直じ か談判するのだが、
「色気づきよってからに、アホなこと言うな」
相手にしてもらえない。この時、悲しみとともに、いままで経験したことのない激しい怒りがわき起こった。