目に宿る希望や夢が反抗の炎と映ったのか
蔑み屈辱を与え続けるのは、主が使用人を服従させる術だったのかもしれない。
プライドをずたずたにして支配関係を植えつけ、考える暇もないほどに働かせ続ければ、何をされても逆らわない「奴隷」ができあがる。
カルト宗教のマインドコントロールにも、似たような手法が使われる。過酷な日々にさいなまれる者たちは、抗うことをやめて運命に身をゆだねる。逆らわず従うことが、辛さを緩和してくれる唯一の手段だと思うようになる。思考停止して、ただ命令に従う。雇う側にとっては都合がいい。
現在よりもさらに厳しい階級社会。最下層の者は、生きる糧を得るために屈辱と重労働の日々をただ耐え続ける。
しかし、キクノは諦めてはいなかった。いまよりは少しマシな生活、普通の人々と同じ幸せをつかみたい。そうなるためには、どうすればいいのか? 考えることをやめない。
運命に抗い、少しでも上をめざそうという姿勢。それが上の者から、自分の地位を脅かす下剋上と受け取られることもある。
キクノの主人もそうだったか? 彼女の目に宿る希望や夢が、反抗の炎と映ったのかもしれない。雇い人のなかでも、彼女に対する態度はとくに厳しかった。
何年も無給でこき使われる。最下層の者たちのなかでも待遇はさらに悪い。
なぜだろう? その理由について、彼女は考えた。義務教育を終えていないこと、文字を知らないこと。それではないかと。
彼女と同世代の少女たちは、小学校で、生活するに困らない程度の読み書きを習っている。大正期になると少女向けの雑誌が次々に創刊された。下働きの女中たちにも少ない給金をやり繰りして雑誌を買って読む者はいる。
キクノも平仮名の読み書きはある程度できるようになっていたが、漢字になるとお手上げ。本を読むことはできない。街で少女雑誌の話題を楽しそうに話す娘たちとすれ違う都度、孤独感にさいなまれた。自分が普通以下の存在であることを思い知らされる。
「読み書きができるようになりたい」
漢字が読めるようになれば、本や雑誌を楽しむことができるし、人並みに扱われて給金がもらえるようになるかもしれない。普通の人間として認められる……。
薄暗い藪を抜けて、陽の光に照らされた故郷の小学校校舎の光景。幸福へと誘ってくれる光明。それが再び見えてきた。今度は絶対に見失うまいと誓う。