六義園の程近くの大邸宅…売却価格に世間が驚愕
東京都文京区。東京大学のほか、東京医科歯科大学やお茶の水女子大学など、多くの名門大学が立地し、また都内にある国立小学校のうち3校が存在するなど、その名のごとく、アカデミックな雰囲気を漂わせる地域です。
このような立地から公立校でもハイレベルで、小学校では半数ほどが中学校受験を経て進学するほど。良質な教育環境を求めて、引越しをしてくる家庭も後を絶ちません。また教育の関心度と年収は呼応するといわれているとおり、23区のなかで4番目に年収が高い地域でもあります。
エリア内に際立った繁華街はなく、その多くが住宅地。目白など、高級住宅地として知られている街も少なくありません。そのなかでも別格といえるのが「大和郷」です。
住居表示としては本駒込6丁目。国道17号(白山通り)と不忍通り、本郷通りに囲まれた地域です。駅であればJR山手線「巣鴨」と「駒込」にかけての内側のエリアで、「江戸の二大庭園」に数えられた六義園を中心とする一画にあたります。
その多くが加賀藩前田家、隠居した大名が主に住んでいた中屋敷があった場所。そして初夢に見ると縁起が良いといわれている「一富士二鷹三茄子」が揃う縁起のよい場所として、江戸でも親しまれた土地でした。
明治時代になり廃藩置県で明治新政府に返上された六義園を、1878年に購入したのが、旧三菱財閥の祖として知られる岩崎弥太郎。そして1922年、三代総帥である岩崎久彌が六義園周辺の土地を「大和郷」としてアッパークラスに向けに分譲を開始したことで、高級住宅地としての歴史が始まります。ちなみに岩崎家の土地は山手線を超えた向こう側まで広がり、隣接した「染井霊園」には弥太郎の墓があります。
分譲地は一区画150~300坪という規模で、三菱村・丸の内へのアクセスが良いことから、三菱グループの重鎮が多く住んでいました。ほかにも政治家や官僚、実業家などが居を構えたといいます。そのなかには、第24代内閣総理大臣・加藤孝明や、第25、28代内閣総理大臣・若槻礼次郎、第44代内閣総理大臣・幣原喜重郎と、3人もの歴代首相の名前も。また一時、美智子上皇后陛下が雙葉学園受験のため、俵孝太郎の旧宅に移り住んだことでも知られています。
【関連記事】
■税務調査官「出身はどちらですか?」の真意…税務調査で“やり手の調査官”が聞いてくる「3つの質問」【税理士が解説】
■月22万円もらえるはずが…65歳・元会社員夫婦「年金ルール」知らず、想定外の年金減額「何かの間違いでは?」
■「もはや無法地帯」2億円・港区の超高級タワマンで起きている異変…世帯年収2000万円の男性が〈豊洲タワマンからの転居〉を大後悔するワケ
■「NISAで1,300万円消えた…。」銀行員のアドバイスで、退職金運用を始めた“年金25万円の60代夫婦”…年金に上乗せでゆとりの老後のはずが、一転、破産危機【FPが解説】
■「銀行員の助言どおり、祖母から年100万円ずつ生前贈与を受けました」→税務調査官「これは贈与になりません」…否認されないための4つのポイント【税理士が解説】