「相続は争族」、最近よく聞く言葉です。多くの皆さんは、別の世界の出来事だと思っています。でもあなたが亡くなったら事情は変わります。財産は、あなたがこの世に忘れて行った落とし物になります。落し物は誰がもらえるのでしょうか。…争奪戦の幕が開きます。 ※本記事は、青山東京法律事務所の代表弁護士・植田統氏の書籍 『きれいに死ぬための相続の話をしよう 残される家族が困らないために必要な準備 』(KADOKAWA)より一部を抜粋したものです。
「路上生活者になってしまう!」妹の悲鳴に長男は…
さらに、「遺産分割は相続人全員が同意しなければできないのだから、いざとなったら最後まで譲らなければいいのよ。そうしたら調停とか裁判とかでケリを付けることになるのよ。いくらなんでもお兄さんもそこまでやらないでしょうから、どこかで妥協するはずよ」と、弁護士ばりのアドバイスをもらいました。
そして、次の交渉の日。拓也さんが、静香さんの家、いやいや正確には真理子さんが残してくれた家を訪ねてきました。
今日の拓也さんは前回とは違って最初からハイテンションです。
「聖子とも相談したが、家と土地を売って、現金にして、折半する線は絶対譲れない。それがいやなら調停をやろう」と言い出したのです。
静香さんは、まさか兄がそこまで言い出すとは思っていませんでしたから、どう対応していいのか頭が混乱してしまいました。友人の言うように譲らないのも一つの方法ではありますが、兄の拓也さんがここまで考えているなら、これ以上突っ張っても仕方がないと思い始めたのです。
そして、静香さんは方針を変更。現金を多く譲る代わりに、共有登記と自分のこの家への居住権を認めてもらうことにしました。
静香さんが、「現金1800万円のうち、3分の2の1200万円はお兄さんにあげるわ。その代わり、共有登記と私のこの家の居住権を認めてちょうだい。私も仕事を早く見つけて、何とか一人立ちするから、それまでこの家に住まわせてちょうだい。でないと、私は路上生活者になってしまうわ!」と言うと、さすがに拓也さんも、気の毒に思ったのか、押し黙ってしまいました。
沈黙のまま、2回目の交渉も終了しました。
拓也さんは、家に帰る電車の中で、幼い頃のことを思い出していました。静香さんがいつも自分の後にくっついて遊んでいたこと、中学生になっても高校生になっても、「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と言って、まとわりついて来たこと。いつも、真理子さんから、「拓也、静香の面倒みてやってね」と言われていたことを。
電車を降り家に歩いて帰る途中で、拓也さんは、「静香の案を飲んでやろう。1200万円の現金があれば、マンションの頭金になるし、将来静香が一人立ちしたら、そのとき家と土地を売って、全部現金にすればいいんだから、かえって得をするかも知れない」と考えて、家に帰ったら聖子さんに話をしようと決心しました。
青山東京法律事務所 代表弁護士
1981年に東京大学法学部卒業後、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)に入行し、外国為替、融資業務等を経験。
その後、アメリカ ダートマス大学MBAコースへの留学を経て、世界の四大経営戦略コンサルティング会社の一角を占めるブーズ・アレン・アンド・ハミルトン(現PWCストラテジー)に入社し、大手金融機関や製薬メーカーに対する経営戦略コンサルティングを担当。
その後、転じた野村アセットマネジメントでは資産運用業務を経験し、投資信託協会でデリバティブ専門委員会委員長、リスク・マネジメント専門委員会委員長を歴任。
その後、世界有数のデータベース会社であるレクシスネクシス・ジャパン株式会社の社長となり、経営計画の立案・実行、人材のマネジメント、取引先の開拓を行った。弁護士になる直前まで、世界最大の企業再生コンサルティング会社であるアリックスパートナーズに勤務し、ライブドア、JAL等の再生案件、一部上場企業の粉飾決算事件等を担当した。
2010年弁護士登録を経て南青山M’s法律会計事務所に参画し、2014年6月独立して青山東京法律事務所を開設。
現在は、銀行員、コンサルタントと経営者として蓄積したビジネス経験をビジネスマンに伝授するため、社会人大学院である名古屋商科大学経営大学院(MBA)教授として企業再生論、経営戦略論を学生に講義するほか、数社の社外取締役、監査役を務めている。過去5年間に、経営、キャリア、法律分野で精力的に出版活動を展開している。
主な著書に「きれいに死んでいくための相続の話をしよう」(KADOKAWA)、共著に「マーケットドライビング戦略」(東洋経済新報社)「企業再生プロフェッショナル」(日本経済新聞出版社)など。
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連載きれいに死ぬための相続の話をしよう~残される家族が困らないために必要な準備