「相続は争族」、最近よく聞く言葉です。多くの皆さんは、別の世界の出来事だと思っています。でもあなたが亡くなったら事情は変わります。財産は、あなたがこの世に忘れて行った落とし物になります。落し物は誰がもらえるのでしょうか。…争奪戦の幕が開きます。 ※本記事は、青山東京法律事務所の代表弁護士・植田統氏の書籍 『きれいに死ぬための相続の話をしよう 残される家族が困らないために必要な準備 』(KADOKAWA)より一部を抜粋したものです。
幸せな老後を思い描いていた矢先…信じられない事態が
ところが、人間ドックで突然の肺がん発見。すでに手遅れの状態で、発覚から6か月で亡くなってしまいました。遺言の準備はありません。
葬儀、初七日を終え、真理子さん、拓也さん、静香さんは一郎さんの財産目録を作ることにしました。
時間に余裕のある静香さんが調べると、残った財産は千葉県の家・土地3000万円相当と預金1800万円でした。
相続人が3人いますから、相続の基礎控除枠は4800万円。鈴木一郎さんの遺産は、すべて非課税で3人に相続されることになりました。
真理子さんは65歳ですが、病気は何もなく元気ですから、拓也さんと静香さんは話し合って、とりあえずすべての財産を真理子さんに相続してもらうことにしました。真理子さんには仕事がなく遺族年金以外には無収入ですから、一郎さんの遺産の範囲で生活していくしかありません。年金の額はだいぶ減ってしまいますが、何とかやっていけそうです。
静香さんも、真理子さんに養ってもらえば大丈夫なので、これが一番いい解決策だということで、合意に至りました。
拓也さんは、将来真理子さんが亡くなったときは、ちゃんともらえるものはもらってやろうと心の中で思いましたが、「まあ、それはそのとき」と考え、それ以上は深く考えませんでした。
一方、静香さんは、このとき、「しめしめ、うまくいった。これで、遺産は全部自分のものだ」と思っていました。真理子さんと一緒に暮らしているのですから、遺産はどうにでもなると思ったのです。
それから1年後。真理子さんが、くも膜下出血で自宅で倒れました。このとき、同居中の静香さんは友達と旅行中。すぐに病院に運んであげることができませんでした。そのため、真理子さんは手遅れの状態となり、亡くなりました。
今度は、拓也さんと静香さんが、真理子さんの遺産を相続することになりました。拓也さんは、「今度はちゃんともらってやろう」、静香さんは、「ああ、予定がくるっちゃった。でも何とか多めにもらおう。そうでないと私生きていけないから」と思っていました。
青山東京法律事務所 代表弁護士
1981年に東京大学法学部卒業後、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)に入行し、外国為替、融資業務等を経験。
その後、アメリカ ダートマス大学MBAコースへの留学を経て、世界の四大経営戦略コンサルティング会社の一角を占めるブーズ・アレン・アンド・ハミルトン(現PWCストラテジー)に入社し、大手金融機関や製薬メーカーに対する経営戦略コンサルティングを担当。
その後、転じた野村アセットマネジメントでは資産運用業務を経験し、投資信託協会でデリバティブ専門委員会委員長、リスク・マネジメント専門委員会委員長を歴任。
その後、世界有数のデータベース会社であるレクシスネクシス・ジャパン株式会社の社長となり、経営計画の立案・実行、人材のマネジメント、取引先の開拓を行った。弁護士になる直前まで、世界最大の企業再生コンサルティング会社であるアリックスパートナーズに勤務し、ライブドア、JAL等の再生案件、一部上場企業の粉飾決算事件等を担当した。
2010年弁護士登録を経て南青山M’s法律会計事務所に参画し、2014年6月独立して青山東京法律事務所を開設。
現在は、銀行員、コンサルタントと経営者として蓄積したビジネス経験をビジネスマンに伝授するため、社会人大学院である名古屋商科大学経営大学院(MBA)教授として企業再生論、経営戦略論を学生に講義するほか、数社の社外取締役、監査役を務めている。過去5年間に、経営、キャリア、法律分野で精力的に出版活動を展開している。
主な著書に「きれいに死んでいくための相続の話をしよう」(KADOKAWA)、共著に「マーケットドライビング戦略」(東洋経済新報社)「企業再生プロフェッショナル」(日本経済新聞出版社)など。
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連載きれいに死ぬための相続の話をしよう~残される家族が困らないために必要な準備