主観的な「生きにくさ」が、「障害」とされるようになったワケ

絶えず動いて落ち着きがない、話すときに視線が合わない…。一見すると、発達障害があるのか、それとも性格や気質の問題なのかわからない子どもが、全国の幼稚園や保育園で増加しています。本連載では、「障害」そのものの定義や、発達障害を持つ人の特徴行動などを紹介します。※本記事は盛岡大学短期大学部幼児教育科教授である嶋野重行氏の著書『もしかして発達障害?「気になる子ども」との向き合い方』(幻冬舎MC)より一部を抜粋したものです。

「障害」とは、どのような状態をいうのか

私たちは日常的に漠然と「障害」という言葉を使っています。しかし、「障害」とは一体どのような状態をいうのでしょうか?

 

たとえば、運動で足を骨折した人が松葉杖で移動することなどはよく見られる光景です。そのときは、障害というものを明確に意識できます。しかし、その多くは時間がたてば完治し、生活に支障はなくなっていきます。すると障害のある状態は消えてしまいます。

 

また、視力が0.3以下の弱視であったとします。すべてのものがボヤけて見えますし、車の運転もできません。生活全体に不便さを感じます。

 

眼鏡やコンタクトレンズがなかった時代、つまり貧しい(プアー)環境では、日常生活を送るうえで「障害」があることは想像できます。ところが、眼鏡が発明され社会一般に普及することによって簡単に視力を回復できます。そうなれば、そこに障害のある状態はなくなってしまいます。しかし、いくら度数の高い眼鏡をかけても、視力が回復できないこともあります。その場合は「障害がある」ことになります。

「社会モデル」に基づく障害観が一般的になってきた

さて、生まれつき腕がなかったり、交通事故などで後天的に目や足を失ったりすることは、その時点で障害が固定され、いつか完治するということはありません。身体にあるべきものがない欠如や欠陥がある場合は、「障害児(者)」とされてきました。これは「医学モデル」という障害観です。

 

ところが、生まれつき腕がない場合は、それがその人にとっては、生まれつきですので当たり前の状態です。この社会で生活していくに従い、だんだんに生きにくさを感じてきます。いや、感じざるを得なくなっていきます。

 

それは、この社会は健常者(定型発達者)にとって生活しやすいようにできあがってきたからです。そのため、ユニバーサルデザインといって、文化・言語・国籍・老若男女、健常者と障害者といった差異、能力を問わず利用できることを目指し、障壁なく生活できる社会設計が望ましいのです。

 

これは、設備や施設だけでなく、社会全体を構成する国民意識のもち方にもかかわってくることです。たとえば耳が聞こえず、文字を書いたりや計算ができなくても生活するうえでなんら問題が生じないのであれば、そこに障害を見出すことはできません。

 

周囲の人からすれば問題があるように見えるのでしょうが、本人は生活していくうえでなんら制約を感じないのであれば、障害はないという考え方になってきました。それが「社会モデル」といわれる障害観です。

 

本人が誓約を感じなければ、障害はない…「社会モデル」という障害観(画像はイメージです/PIXTA)
本人が誓約を感じなければ障害はない…「社会モデル」という障害観
(画像はイメージです/PIXTA)

 

障害のとらえ方は個人の立場や環境によって変わってくるということです。つまり障害は、時代や個人の立場、本人の感じ方、周囲の状況などの環境によって変わるという主観的なこととされ、社会モデルに基づく障害観が一般的になってきたのです。

 

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盛岡大学短期大学部幼児教育科 教授

著者紹介

連載もしかして発達障害?「気になる子ども」との向き合い方

もしかして発達障害?「気になる子ども」との向き合い方

もしかして発達障害?「気になる子ども」との向き合い方

嶋野 重行

幻冬舎メディアコンサルティング

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