「元気に生きて、何をするのか」しっかりと考えておく
110歳というと、遠くを見ているような感じがすると思いますが、違うとらえ方をしてみると人生が楽しくなるものです。
私たちに自我が芽生えるのは、だいたい10歳頃です。それ以降のことはよく覚えていますが、10歳より前のこととなると記憶も曖昧で鮮明には残っていません。つまり、110歳まで生きるといっても、10年を引いた100年が「有効人生」と考えられるのです。その人がその人であるのは、正味100年ということになります。
したがって、60歳の人は、あと50年あるので、有効人生が半分も残っていることになります。つまり、割合で示すと50%です。私の場合は61歳なので、有効人生の残りは49%です。そうすると、まだ半分も残っているといえるのです。50歳の人なら、有効人生は60%となり、まだ4割しか人生が過ぎていないことになります。
このように考えると、60歳でリタイアするのは早過ぎるのです。皆さんも自分の有効人生を計算してみてください。ボーっとしている場合ではありません。「何かやらなければ」という気持ちがわいてくるのではないでしょうか。
いろいろな人にこの話をすると、改めて「こんなに残っているのか」と驚きます。そういうとらえ方で人生を見ていくと、きっと違った景色が見えてくると思います。ほとんどの人が定年後はどうしようとか、自分の幕引きをどうするのかと、まるで人生が終わりのように受け止めて「終活」に励んだりしています。
しかし、折り返し地点に立ったと思えば、何をするのかきちんと考えておかなければなりません。夢があれば実現したり、新しい技術を身につけたり、新しい分野に挑戦してみるのも面白いと思います。そこまで思い切った挑戦はできないのであれば、今まで培ってきた知識や経験、技術などを活かして、そこから派生した何かを試してみるのも、これまでとは違う世界が開けてくる可能性があります。そういう展開をしたほうが、もっと人生が楽しくなるし、考えているだけでもワクワクしてくると思います。
最近は、田舎暮らしがブームになっています。第二の人生でも一花咲かせようと、退職金をもとに田舎へ移住し、農業にチャレンジする、農家民宿や喫茶店、工房を開くなど、新天地で新たな生活にチャレンジする人が増えています。
しかし、残念ながら私の知る限りでは失敗するケースが多く、後悔している人が少なからずいるのです。自分たちで食べる分の作物を育てることから始まり、道の駅などにも置くようになり、地元の人とも交流して楽しく過ごしていると、雑誌で紹介している記事を目にすることがあります。けれども、良いところばかりを取り上げ、実際には赤字という話も耳にしています。それでも、退職金が残っており、老後の生活が安定して営めるならよいのですが、そうではないとしたら失敗と言わざるを得ません。
新しいことにチャレンジするのに年齢は関係ありません。いくつで始めても遅くはないと、私は思っています。ただし、何の準備もなしにチャレンジするのは博打のようなもので、あまりにも無謀です。知人の友達が雪国に移住したそうですが、冬には想像以上の雪が積もり、日に何度も雪かきをしなければならないため悲鳴を上げていたそうです。こういう場合もあるので、春夏秋冬と1年を通して行ってみる必要もあるようです。
何かを始めるときは、計画を立て、勉強もして、きちんと準備を整えてからにしたほうが賢明です。成功している人たちは、定年を迎える前から資料を集め、勉強をしたり、何回も体験に行ってみたり、本当にそれをやりたいのかも含めて3年、5年とじっくり向き合ったうえで判断し、実行に移しています。このほうが経済的にも無駄がなく、本人も幸せになれると思うのです。新たな挑戦をする際には、上記で述べたように資産の計算をし、失敗するなどリスクを負ったときのことも考えて、一歩を踏み出すことがよいのではないでしょうか。
挑戦はしないという人も、有効人生が50%、40%と残っている以上は、何かをやらなければ体や脳の老化も進んでしまいます。長寿社会を迎え、よく生きがいを見つけないと寂しく、むなしい老後になるといわれ、多くの人が趣味を見つけたり、習い事を始めるなど「生きがい探し」をしています。けれども、必ずしも生きがいがなくてもよいと、私は思います。
例えば、確実にAI化が進んでおり、2045年には人工知能が人類の知能を超える「シンギュラリティ」(技術的特異点)になると予想されています。さまざまな問題が生じるとされていますが、社会がどのように変化するのか、その様子を実際に確認したいとウォッチングするというのも興味深いかもしれません。自分で何かをする能動的な活動だけではなく、受動的な活動もあると思われます。大事なことは、自分の楽しみを見出し、幸せを感じて生きることではないでしょうか。