ウイスキーの本場といったらどこを思い浮かべるだろうか?イギリス、アメリカ――それだけではない。今、日本のウイスキーの評価はうなぎのぼりで、世界中の賞を総なめにしている。だが、肝心の日本人はその事実を知らない。しかし、それではもったいない――ウイスキー評論家の土屋守氏はそう語る。ここでは、ウイスキーをもっと美味しく嗜むために、日本のウイスキーの歴史や豆知識など、「ジャパニーズウイスキー」の奥深い世界観を紹介する。本連載は、土屋守著書『ビジネスに効く教養としてのジャパニーズウイスキー』(祥伝社)から一部を抜粋・編集したものです。

風味を安定させた大発明「スミスのグレンリベット」

当時、ブレンデッドウイスキーはまだ誕生していません。また、複数の原酒を混ぜて味を調整するという発想もありませんでした。スコットランドで長らく飲まれていたのは、今でいうところのシングルカスク(一つの樽の原酒だけを瓶詰めしたもの)でした。ウイスキーは同じ年に蒸留され、樽詰めされたものであっても、樽ごとにウイスキーの風味が異なります。それがシングルカスクの魅力であり、現在、シングルカスクの商品はとても人気があります。

 

しかし、当時の人たちにはそんな知識はありません。グレンリベット蒸留所のシングルカスクを販売していたアッシャーのもとには、「同じグレンリベットなのに、この前飲んだやつと味が違うじゃないか。これは一体どういうことだ」というクレームが少なからず届いていました。そこで、アッシャーが考えついたのが、複数のモルト原酒を混ぜて品質を均一に保つ方法です。

 

アッシャーが「アッシャーズ・オールド・ヴァッテッド・グレンリベットウイスキー」(ヴァッテッドは「混和する」という意味)、通称〝スミスのグレンリベット〟を1853年にリリースすると、味のばらつきがなくなり、さらに風味が増しておいしくなったとスコットランド中で人気となりました。なお、〝スミスのグレンリベット〟にはグレーンウイスキーがブレンドされていません。また、当時、グレンリベットは複数の蒸留所を所有し、それぞれで原酒を製造していました。したがって、製品分類でいえば、ブレンデッドモルトとなります。

 

ペリー一行が日本に持ち込んだスコッチは、おそらくこの〝スミスのグレンリベット〟ではないかというのが私の推測です。ジャーディン・マセソン商会は現在も有力な国際商社として存続しており、同商会の過去の文書はケンブリッジ大学中央図書館に収蔵されています。これを調べたなら、私の推測が当たっているかどうかが明らかになるはずですが、残念ながら今のところ機会に恵まれません。どなたか調べるチャンスがありましたら、ぜひ、結果をお知らせいただければと思います。

ジョージ・ワシントンも愛飲…軍に人気「ミクターズ」

次に、アメリカンウイスキーについてはどうでしょうか。アメリカンウイスキーと聞いて真っ先に思い浮かぶのがバーボンです。バーボンは主にケンタッキー州とテネシー州でつくられていますが、当時の生産量はまだ少量でした。ペリーの船にバーボンが積み込まれた可能性はゼロに等しいでしょう。

 

他方、東海岸のバージニア州やメリーランド州では、我々が現在ライウイスキーと呼んでいるものにごく近い、ライを主原料としたウイスキーがつくられていました。ノーフォーク軍港はバージニア州にあります。ゆえに、アメリカンはバージニア州でつくられたライウイスキーだったのではないかと見ています。

 

あるいは、アメリカの独立戦争のとき、兵士がそれを飲んで暖を取ったというミクターズのウイスキーだったかもしれないですね。当時将軍だったジョージ・ワシントンが兵士に振る舞った酒で、〝独立のウイスキー〟として、長く親しまれてきました。軍関係者には人気の高いウイスキーで、海軍一家の出身であるペリーにとっても、なじみの酒だったかもしれません。

 

 

 

 

ウイスキー文化研究所代表

ウイスキー評論家

ビジネスに効く教養としてのジャパニーズウイスキー

ビジネスに効く教養としてのジャパニーズウイスキー

土屋 守

祥伝社

世界のトップ層は今、ウイスキーを教養として押さえています。翻って日本人の多くは、自国のウイスキーの話さえ満足にできません。世界は日本のウイスキーに熱狂しているのに、です。そこで本書では、「日本人とウイスキー(誰…

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