ナースコールで職員を呼び出す老女
■エピソード9
すべてを職員に依存している入居者の話
Fさんは90歳の女性です。要介護は「2」でしたが、自立の高齢者です。彼女のご主人は、戦後、兄弟で観光バス会社を興し、次第に事業をタクシー業、ホテル業と拡大、事業で大成功した人物です。数年前に亡くなり、一部の事業は売却しましたが、大部分は長男が経営者として立派に後を継いでいます。
「ここの人たちは、のろまが多いね」。彼女の口癖です。用があってナースコールを押しても、すぐに職員が飛んでこないことに対する文句のようです。長男の解説によると、自宅にいた時は、隣りの居室に住み込みのお手伝いさんが常に控え、呼び鈴を鳴らすと、ふすまをガラリと開けられ、すぐに居室に来てくれたそうです。
「呼んだのに来るまでに何時間かかっているんだい? 昔の人は、呼び鈴を鳴らせば、すぐに来たものだよ」と言われます。当然ですが、われわれもナースコールが鳴れば、ただちに居室に向かいますが、必ずしも、1分や2分で行ける環境ばかりではありません。5分ぐらいは待たせてしまうケースもあります。
職員は、多くの場合、ナースコールが鳴った場合は、持っているPHSで居室に連絡し、要件を伺います。認知症等のために、要件を聞き出すことが難しい場合は、その要件を推察しますが、ほとんどの場合、推察したことが間違っているということはありません。Fさんの場合、当然認知症等ではないため、話をすることは可能ですが、PHSの問いかけにはいっさい応じない方針を貫いています。つまり、介護職員が顔を出さないと許してくれない、ということです。
「お待たせしました」と言って、居室に入ります。
「ずいぶん遅いじゃないか。何分待たせばいいんだい」
「申し訳ありません。ところでどのような御用でしょうか」
「寝ていて汗を掻いたから替えがしたい。手伝って」
「着替えはご自分でできますよね。毎朝、自分だけで着替えているじゃないですか」
「なんだい。ここの職員は薄情だね」
という具合です。このようなことを日に何回も繰り返します。
Fさんについては、家族を含めたカンファレンスの中で、「人に依存しすぎる傾向があるため、自分でできることは自分でやってもらうようにしていくこと。容易に手伝うことはしないこと、さらに、終日居室から出ようとしないので、必ず1回は居室から外に連れ出すこと」を、ケアプランに謳っています。長男が参加するカンファレンスなどでは、「下手に出ると図に乗るので、きっぱりと断わってほしい」と声を荒げることも度々です。