つまり、運が良かった、と。さらに、毎日死にたくないと考え、けっして無理をせず、危ないと思った場合は、けっして自分から積極的に行動はとらなかったと言います。つまり、誰かを先に行かせ、安全が確認できたら自分が行くという行動をとっていたと。「自分は、まったく勇敢ではなくむしろ、卑怯者、臆病者の日本兵だった」と言っています。だからこそ、自分は生きて日本に帰ってこれたのだと……。ちなみに、彼が出征していた地域の日本兵は、ほぼ全滅しているようです。
一人語りの思い出話は自身の懺悔
戦争から帰ってきた彼は、奥さまの実家の家業である洋品店を手伝い、数十年後には地域で一番の総合スーパーに育て上げました。その後、複数の同業他社との合併や買収を繰り返し、まさに日本を代表する巨大企業の誕生にも深く関わっていた経営者です。
私が話を聞くたびに思っていたこと。それは、自身の懺悔と私たちへのエールです。自分は死にたくない一心で、逃げ回りながら生きのびた。戦場で命を落とした仲間に対し、申し訳ないという気持ちがうかがえます。しかし、人間は生きていてなんぼ、死んだらお終いということも同時に同居しています。だからこそ、どんなことがあっても、生きていろということだと思います。恥をさらそうと、卑怯者だと言われようと、とにかく生きろというTさんからの遺言だと思っています。そして、「運」を味方につけること。いくら努力をしても「運」がない奴は報われない。運がいい奴は、失敗すら好機にしてしまう。「運」を意識して生きろ、ということではないでしょうか。
昔話には武勇伝はいっさい出てきません。そのほとんどは、自分がどれだけ「ずるく」「卑怯で」「情けない」人間だったかの説明です。そんな自分でも、このぐらいのことはやれたんだ、あなたたちにもきっとできるはずだということを、言いたかったのかもわかりません。
要介護3で認知症のTさんの話なので、多くの職員は適当でいい加減な話だと解釈していたのかもわかりません。しかし、私は彼の話が好きでした。ところどころ辻褄の合わない個所もありますが、おおむね話の骨格はぶれていなかったと思います。ベッドに横になりながら、天井を凝視して、淡々と昔を振り返り、自分のことを語り始めるTさんからは、想像もつかない若かりし頃の経営者の姿が見え隠れしていたことでした。
小嶋 勝利
株式会社ASFON TRUST NETWORK 常務取締役