高給サラリーマンが過去の遺産に…
今では信じられないことかもしれませんが、かつてはサラリーマンをしていることが、間違いのない人生戦略だった時代がありました。いわゆる「高度経済成長期」と呼ばれていた時期が、それに当たります。当時、人々は「名の通った大学に入って」「一流企業に入社する」ことに、心血を注いでいました。そうすることで、終身雇用と数千万円の退職金が手に入り、悠々自適の老後が約束されたも同然だと思われていたからです。
ちょうど、日本中の土地も値上がりしていましたので、入社して数年でマイホームを買い、後にそれを売却すれば、ひと財産つくることも可能でした。「郵便局の通常貯金にお金を寝かせておけば、年に約5%、 10年定期では約12%の利息が付いた」という、今からすると信じられないような時代が、日本にもあったのです。
それが、昭和という時代でした。しかし、令和となった今では、その“成功の方程式”も、すっかり過去のものになっています。わずか30〜40年ほどの間に、世の中は激変しました。終身雇用が機能していた時代、サラリーマンは一度入社すれば、定年まで勤め上げるのが当たり前。いわば、自分の人生と引き換えに、会社に老後まで面倒を見てもらっていたようなものでした。
それが今では、リタイヤまでに何度か転職することは珍しいことではなくなりました。現在は正社員といえども、右肩上がりの昇給など、望むべくもありません。大部分の人が、就く役職もない“飼い殺し”の状態です。
年金制度も、毎年のように改変されています。サラリーマンの年金は、かつて 「確定給付型企業年金」といって、あらかじめもらえる額が決まっており、不足した場合は会社が補填してくれていました。現在では、「確定拠出年金」に順次、切り替えが行われています。確定拠出年金になると、自分の年金は、自分で運用しなければなりません。
これまで多くのサラリーマンは、給料が上がらない代わりに、残業をすることで、不足分を補ってきました。しかしこれも、働き方改革が施行されることで、残業させてもらえなくなりました。
そもそも働き方改革とは、日本経済の再生に向けてつくられた「労働生産性を改善するための最良の手段(首相官邸HP)」という位置づけです。働く人の視点に立った改革と言いながら、実際は、企業の生産性を高めるのが目的なのです。とどのつまり、働き方改革の本質とは、自己責任の推進です。
「国も、会社も、老後の面倒は見ません(再雇用するから元気に働きましょう)」「老後資金は、自分でなんとかしてください(自分で2000万円を用意してね)」
「正規雇用と非正規雇用は、待遇が同じになります(いずれ正社員は死語に)」
「年齢や勤続年数は、評価の対象になりません(労働生産性向上のためです)」
「規定時間の給与は払います(残業は無しにしてください)」
「足りない分は、自分でなんとかしてください(時間はありますよね?)」
こういった声が聞こえてきそうなご時世です。