「ここに変な人が……」娘が分からない母親
ある夜、娘さんがいつものようにCさんの面会にやってきました。部屋の前を通りかかると、娘さんの大きな怒鳴り声が聞こえてきます。「お母さん。私よ。あなたの娘の〇〇じゃない。何言っているのよ。しっかりしてよ!」。部屋のドアが開いており、ちょうど通りかかった介護職員を見つけるや否や、Cさんは血相を変えて助けを求めて駆け寄ります。「ここにいる変な人が、突然部屋に入ってきて訳のわからないことを言うのよ。私は頭がおかしくなっちゃう。早く助けて……」。
もはや娘さんを娘とも認識できていない様子でした。しばらく押し問答をしていましたが、埒が明かないのでひとまず引き揚げることにしました。
帰りがけに事務室で娘さんの本音を聞くことができました。実は、娘さんは母親が認知症だということには、おおむね気がついていたそうです。自分でも認知症ではないかと思っていた、と。でも認知症だなんて認めたくなかったと、吐露します。美人で聡明で気立てもよく、官僚だった父親をしっかりサポートしていた憧れの女性であり、人として、母親として尊敬していた自慢の母親が、認知症になって壊れていくなんて認めることはできなかったと言って、涙を流しています。
しかし、これでやっと母親の認知症を受け入れることができるとも言っていました。自分のことさえわからなくなってしまった。その事実に対するショックと、諦めにも似た開き直りが交じり合った気持ちだと、言っていました。
その後、専門医の診察を受け本格的な治療に入ったCさんは、薬のおかげもあって問題行動は少なくなりました。しかし、Cさんと娘さんにとって、本当にこれでよかったのかどうかはわかりません。気のせいか、娘さんが面会に来る回数も減ってきていました。皮肉なもので、その回数とは逆にCさんは日に日に元気になって自分を取り戻してきています。お互いがお互いのことに気を遣い、その気持ちが空回りをしていたような気もします。Cさんのようないわゆるエリートの家では、家族間であっても建前での生活が存在してしまいがちです。
今にして思うと、もしかしたらCさんは、わざと認知症のふりをして、早く娘さんを自分から解放したかったのかもしれません。いずれにしても、孤立することなく、介護職員を交えた老人ホームという社会の中で、Cさんにとっても、娘さんにとっても、ベターな生活を手に入れたのだと思います。これも重要な老人ホームの活用の仕方だと、私は思っています。
小嶋 勝利
株式会社ASFON TRUST NETWORK 常務取締役